家族でのんびり散歩できました(^^)d
蒸気機関車D51 592号機 / / .
D51は自由に入れて興味のある人には良い所だと思います。
でも他に何も無いのでこれだけではちょっと物足りなさが有ります。
景色は良いです。
丁度今(2月23日)は河津桜が満開で青い空、白い雲、ピンクの桜、黄色い菜の花と、見る目を楽しませてくれます。
ちょっと公園風の遊び場があったらイイなと思いました。
1、D51とは(1)日本の蒸気機関車技術の集大成 日本では、明治5年の鉄道開業以来明治時代は、蒸気機関車(SL)は、主にイギリス、ドイツ、アメリカの3か国から輸入して使っていました。
明治時代の終り頃から、輸入した機関車を参考に国産化が行われるようになり、大正時代に入ると外国製に負けない独自の設計の機関車が製造できるようになりました。
それが、昭和時代に入ると、日本の機関車設計製造技術はさらに向上し、世界のトップレベルの製品が製造できるようになりました。
当時の世界最先端の技術を使って作った、その代表的な機種がD51なのです。
(2)日本の戦中や戦後の復興を支えた原動力 D51は、貨物列車をけん引するための力の強い機関車ですが、その割合に車体が小さく、また、出せる最高速度も比較的速かったので、幹線でもローカル線でも、貨物列車にも旅客列車にも使うことができました。
そして、D51の製造の始まった翌年には中国との戦争が始まりやがてアメリカなどとの太平洋戦争も始まる時代で、物資や人の輸送が急増したため、新型で高性能なD51は全国の主要路線に配置するため量産され、戦争が終わった昭和20年までの9年間に1115両も製造されました。
これは日本の同一機種の機関車製造台数としては今も破られていない記録です。
また、1機種で千両以上の製造は世界的にもトップレベルです。
戦争に敗れた日本は多くの都市が焼野原になり、工場なども壊滅しましたが、当時の人々は血のにじむ努力で復興し、工業生産を復活しさらに世界に追い付く努力をしました。
その人々の努力を支え、人を乗せ物資を運んだのも、戦争を乗り越えて走り続けたD51を始めとするSL達でした。
SLは、昭和50年に第一線から全て引退しましたが、最後に貨物列車を引いて走ったのもこのD51でした。
2、下松のものづくりのシンボルとしてのD51592 下松は、海と山や島に挟まれた地形で、大きな川や平地が少ないため昔から農業には不向きな土地でしたが、島に囲まれて波が静かで、遠浅な砂浜が無く大きな船が接岸できる港も作りやすい地形を利用し、大正時代から盛んになった造船や鉄道車両の製造を行う工場が建設されました。
風光明美で魚介類の豊富なこの土地が、逆に重工業の立地条件にも合っていたのです。
大正時代の後期からは今の日立製作所笠戸工場が創業しました。
D51も全製造数の1/5近い213両が、この日立製作所笠戸工場で製造されました。
D51592号もその1両です。
その機関車が、下松の工業の発祥でもある造船の、造船所を見下ろせる笠戸島・大城の公園に保存されているのです。
D51は動態保存機も含めて全国に177両が保存(1996年現在)されていますが、製造された都市に保存されている例は少なく、貴重な事例です。
笠戸島D51592を燦かせる会 解説資料「D51と下松」(自著)より、冒頭部の紹介=この資料の作成にあたり参考にした図書=・栄光の機関車D51 秋永芳郎著 偕成社発行 1972年・機関車の系譜図Ⅰ及び4 白井茂信著 交友社発行 1978年・鉄道ファン1996年5月号(特集:機関車D51)
名前 |
蒸気機関車D51 592号機 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.8 |
2021/11/07朝日新聞山口総局の記者、高橋 豪さんの書いた記事がきっかけで、ここまでやって来ました。
withnewsで掲載された記事は、「島の蒸気機関車」を磨き続ける男の半生 〝名車〟に携わった技術力」…でした。
D51-592号機の静態保存されている蒸気機関車の保存状態が良好で、一人で保存活動をされている技術者を紹介しておりました。
その人の名前は奈良山孝司さんそして、その奈良山さんと会って話も聞くことも出来ました。
今は周南市に住んで毎週日曜日にD51に会いに来るのだそですここを訪れる人々に想いを伝える為なんだろうなと想い、凄い人がいるものだなあとも想いました。
確かに実際に機関車を見ると違います。
私が最近見たのは津和野駅と倉吉線鉄道記念館ですが、、、やはり奈良山さんのD51は綺麗で今にも動き出しそうでしたそして、第一種圧力容器であるボイラーを整備して整備をすれば稼働させる事も可能であるようです。
朝日新聞の高橋さんの記事で多くの人がここを訪れて、奈良山さんとD51を知って貰い、この蒸気機関車が再び稼働すれば良いのになぁって心から思いました奈良山さんは、その日。
子供達が書いたヘッドマークを付けた「D51-592号機」のヘッドライトを点灯してくれました。
感激しながら画像を撮りましたとっても良い一日になりました皆さん 本当にありがとうございました。