名前 |
島子姫の観音堂 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.0 |
小弓公方足利義明の孫娘、島姫の没後、喜連川藩がここにお霊屋を建てて供養したという。
島は塩谷惟久に嫁いだが、塩谷氏は小田原合戦後滅亡し、惟久は行方知れずとなったという。
その後、名門足利家の断絶を惜しんだ豊臣秀吉に島姫は召し出され、島姫の願いにより古河公方の娘氏女と弟の国朝を結婚させ、足利家を継ぐこととなった。
この時、喜連川3500石を与えられたが、国朝は間もなく亡くなったため、その弟頼氏に氏姫を再度嫁がせた。
頼氏は喜連川に住むようになり、こうして喜連川足利氏が誕生した。
喜連川藩は、藩が成立するときに大きな役割を果たした島姫の恩に報いるために、この観音堂を建てたと言われている。
かつては祭礼がかなり賑やかに行われていたと言うが、現在では地元の人たちによるささやかな祭事が続けられている。