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名前 |
神指城二之丸南側土塁遺構 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
5.0 |
未完成だった神指城は、二之丸は石垣では無く土塁による構造でした。
土塁は、ほとんどが破壊され水田に姿を代えてしまいましたが、北西、北東(高瀬の大木)、南東の隅と南側は、かろうじて残っています。
南西の隅は阿賀川の河原に埋没しています。
南側の土塁遺構は如来堂の境内になっています。
会津戦争の時、母成峠の戦いに敗れた新選組は、北へ新天地を求めて会津を離れようとする土方歳三らと、会津に留まろうとする斎藤一らに分かれました。
このとき斎藤一は同意した隊士とともに会津へ残りました。
明治元年(1868)年9月4日、城下に進出した新政府軍は、ここ如来堂に立てこもる新選組を攻撃し激しい戦いを繰り広げました。
この時に全員討ち死にしたとされていますが、実際は、斎藤一をはじめ数名が生き残りました。