名づけて水城と日う」と「日本書紀」にあります。
水城跡(天神山小水城) / / .
この場所には特に遺構などはなく、説明板があり小さな公園のような趣です。
名前 |
水城跡(天神山小水城) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
続日本100名城No.182白村江の敗退を機に大宰府防衛線として築造されました「筑紫に大堤を築き水を貯へ、名づけて水城と日う」と「日本書紀」にあります。
天智天皇三年(664)の築城で、前年の白村江の戦いで敗れた倭国(日本)が、国土防衛のために築いた防衛施設である。
ヤマト政権は対馬·壱岐·筑紫などに防人とのろし台を配備し、翌年には大野城や基肄城なども築きました。
福岡平野が最も狭くなったところを南北に遮断するように築造され、総延長約1.2km、高さ約10mの直線的な土塁と外濠(博多側の濠)と内濠(大宰府側の濠)を組み合わせていました。
土塁の東と西には東門と西門が設けられました。