近くまで行けば見ることはできるだろうと思って行って...
こんな場所にあったんだと思わせる。
周りに水軍の人たちの墓もあり、ロケーションもよい。
展示がもっと充実していたら、とやや物足りなさも。
6月8日、歴史的遺構が、有るわけでも無いが、唯一の水軍城との事で、鑑賞に…高速バスで因島大橋で降り、無謀にも、徒歩にて、島だからと、侮りが、命取り😓 何と、1時間20分観光名所の色合い強し、隅櫓、本殿、二ノ丸と、3棟 二ノ丸では、軍議中❗️本殿は、資料他goods販売、隅櫓は、2層で、眺望良し、鎧兜姿の水軍祭りのフォト展示、建物他、期待はしなかったが、歴史勉強に成り、帰路は、蛮勇を振るい、又徒歩行軍、結果足にマメ、2万2000歩の歩み也‼️
駐車場から階段をけっこう上ります。
海が見えると期待していましたが、全く見えませんでした。
有料の資料館は小さいですが、思っていたより展示品が多くて良かったです。
サイクリングのついでに寄りました。
資料館は小さくて1部屋しかありませんが、観覧料330円なのでこんなものでしょう。
景色を楽しむだけの場合は入場料は不要です。
因島水軍城は、因島村上氏が残した武具や遺品、古文書など歴史資料を展示している資料館です。
水軍のふるさと因島にふさわしいものをと歴史家奈良本辰也氏監修により昭和58年(1983年)に建設されました。
二の丸は展示室、隅櫓は因島水軍まつりの写真を展示、本丸は水軍資料館として一般に公開されています。
水軍資料館には、因島村上氏6代当主村上新蔵人吉充が中国から持ち帰った釈迦の捏槃図や小早川隆景より拝領された甲冑など水軍ゆかりの品々が展示されています。
「HPから抜粋」駐車場から坂道と階段を登り水軍城まで頑張ります。
時期的に桜も満開で春風を浴びながら良い運動になりました。
資料館も有料でしたがとても勉強になりました。
歴史を感じると共に想像が広がります。
山も海も近くにあるところで日本や世界を相手にしていたんですね。
凄い。
コロナの影響で閉業中でしたが、近くまで行けば見ることはできるだろうと思って行ってきました。
結果として、行ってよかったです。
(直前の坂道は結構大変でした。
)また開業中に行って、じっくり観光したいです。
村上水軍最大の城です。
眺めも良いですが。
階段昇ります。
入り口に杖が置いてありました。
暑い日だったので かなりきつかったです。
せっかくしまなみ海道来たしと思い、行きました!水軍のことがとても、わかりやすく書いてありました。
駐車場は下の方にあり、上がると少ししんどいです。
#恵介のごきげんチャンネル。
階段は少し大変だけど、建物も景色も良い。
ビジターセンターは資料館としては狭い割に内容はとても充実している。
歴史や地理に興味ある方なら有料でも十分入る価値がある。
お薦め。
10分で済む。
通りかかって行くなら良い。
かなり高度な博物館です👍失礼ながらこんな僻地の城跡やと侮ってた自分が恥ずかしいです😖もっと勉強してから来るべきやったな💦
村上水軍の歴史や遺産を見る事ができます。
村上水軍のお城です。
ここでは、歴史と村上水軍が普通の海賊では無く、今の海上警察の様な役割をしていたと説明が有ります。
そして、地元に今も残る行事を展示していたり、写真も掲示されています。
普通のお城のイメージとは少し違った感じで昔の漁師さんたちの生活とかを知る事が出来て、歴史の好きな方には向いて居ます。
場所も無料駐車場から直ぐなので、年配者の方も大丈夫だと思います。
因島に行かれたら、是非行かれたらいい場所です。
村上海賊について、係の方から説明がありました。
船に上げる旗にも意味があり、知らないことばかりでした。
きれいですが、所どころ渦を巻く海で、逞しい男たちが活躍していたのですね。
かつてこの地で猛威をふるった海賊の居城を再現一時は通行税を積荷の10%分徴収し、従わぬものは皆○○して積荷を没収したとかさぞかし財宝の類が集まった事だろうと思うが、ここにはそのような面影はまるでない 漁師とかしてたわけじゃないだろうに、なんでこんな地味になっちまったんだか?うーむ諸行無常ですなあ展示は興味深いしちょっと見晴らしもいいし、無料でも大体見られるので割とおすすめじゃないでしょうか。
しまなみ海道にある因島水軍城は、日本遺産である村上海賊の歴史資料館となっており、因島村上海賊を中心に貴重な古文書や武具が揃っています。
日本遺産である村上海賊の歴史資料館となっている因島水軍城。
海賊というと理不尽に船を襲って、金品を奪うパイレーツをイメージするかもしれませんが、村上海賊は八幡船ばはんせんで海を守り外国とも交流し貿易も行っていました。
祖先から受け継いできた信仰を大切にし、山や海の守り神である大山祗大神、大分の宇佐神宮(うさじんぐう)や京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)で知られる武運の神、八幡神を崇拝。
大山積大神の子孫である乎致命(おちのみこと・越智氏族の祖)を主祭神とする、大浜八幡大神社も大切にしてきました。
こちら因島水軍城では、村上海賊の古文書や武具などの遺品が展示されており、時には戦って海を守り、漁業や商業など幅広く活躍した村上水軍の歴史を感じることができます。
村上海賊は、村上源氏(北畠氏)村上師清(もろきよ)の子孫で、師清の長男である吉顕が能島村上の祖(初代)となり、次男の吉房が来島村上の祖(初代)となり、三男の吉豊が因島村上の祖(初代)となり三家で連携し、強い同族意識を持ち栄えました。
また、村上海賊が村上源氏、清和源氏とされているのは南北朝時代に後醍醐天皇の下、建武の中興で同志だった北畠氏(村上源氏)と新田氏(清和源氏)の物語に遡ります。
新田義貞の子である義宗と従弟(いとこ)の脇屋義治(わきやよしはる)は村上(北畠)師清のところへ身を寄せ、(新田両神社参照)1393年に義治の子である助盈(頼國)は越智大島内の姫内城(別名 稲井城)を師清は与えて姓を稲井(いない)に改め、義宗の子である義處は姓を救井(くい)に改めた。
救井(くい)家は因島村上海賊の第一家老、稲井家は因島村上海賊の第二家老となり、師清は自分の子のように大切にし娘を嫁がせたことにはじまります。
展示資料の中には重要美術品となっている大塔宮、護良親王(後醍醐天皇の皇子で、鎌倉宮の御祭神)令旨や村上家伝来文書もあります。
村上海賊の武具が並ぶほか歴史年表もあり、大将で長崎城・青木城主の村上吉充(村上 新蔵人、源 吉充)が村上師清(むらかみ もろきよ)の子孫であることや第一家老で青陰城主の救井(くい )太郎左衛門尉(源 義親)が新田義貞の子孫であること、第二家老で土生小丸城主・対潮院の稲井 勘解由左衛門尉(源 家治)が脇屋義助の子孫であることも記されています。
村上水軍を理解するのにとっても分かりやすい構成になっています。
村上水軍についてはっきりとわかる説明や展示がいくらかあり勉強になる。
今治おかん ❗️🐷です 。
💟【青空と お城🏯の 白 赤い のぼり】コントラストが 綺麗でした 。
農耕一辺倒でなく海洋民族在も確認出来る。
さらに昔の倭寇の意味も理解出来る。
こうした地域が現在造船業が盛んな事にも歴史的繋がりを感じられる。
資料館は小さいですが、水軍のことがわかりやすく説明されています。
蟹やホタテの鍬形が付いた兜や鎧、火縄銃が展示されています。
写真撮影も可能です。
2014年の5月にツーリングで立ち寄りました。
しまなみ海道沿いの島は見所多いのですが、因島は水軍城が有名ですね。
村上水軍は有名ですし、歴史好きにはたまらない場所なのかもしれません、当日は休館で中を見れませんでしたので残念ですが、、又、機会作ってきてみたいと思います。
辿り着くまでにそこそこ急な坂が続きます。
杖は無料で貸してくれるので助かりました。
登った後の景色は壮観です!
冬休みに訪れたものの、急坂をヒイヒイ言って着いたら休館しとる。
そもそも水軍なのに山の上、何の城か謎。
もう少しどうにかしてくれ。
急な階段の先にあります。
お城からの眺めも最高です。
城自体は、昭和に再筑したものです。
歴史とか地理が好きな人には、新たな発見が有るかも知れないのでお薦めです。
島の真ん中に有りますが、かつてはすぐ近くまで海だったと言うことが分かりました。
また、京都の賀茂神社とも縁があるようです。
中国地方では、大昔から村上水軍と言えば最強の軍団だったそうです。
その拠点となったお城なのですが、なぜか山の上にあります。
水軍なのに山城とは、少し違和感を感じます。
スロープはありません。
ベビーカーや車いすでの訪問は無理だとお考え下さい。
頂上には有料の宝物館、無料の船の資料館があります。
船の資料館には、なぜか宇宙戦艦ヤマトが展示されています。
来るまでに階段で100段ほど登らなければならないにも拘らず、海は見えず眺望は良いわけではない。
木曜日が定休日。
名前 |
因島水軍城 本丸 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0845-24-0936 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水金土日] 9:30~17:00 [木] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.6 |
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本丸お城型資料館に向かう途中に因島史料館が有るのだけど、ここは週末だけ?の営業と書いてあったが詳しく本丸資料館の方に確認しても良かったかな。
施設はこじんまりとしていた。
兜は心踊らされましたね。
展望台からの眺めはきれいなみどり色のみでした。