一乃宮の神社として由緒正しき神社。
とっても雰囲気が良い神社でした。
境内を自由に過ごしてる黒柏鶏にとても癒やされました。
人懐っこくて近付いても全然恐がらなくて、黒い羽が青〜緑に光っていてキレイでした。
周防一ノ宮の玉祖神社⛩御祭神は玉祖命様。
勾玉の神様です^_^ここに参拝すると、自分の良さがどんどん磨き上げられて、勾玉のように光り輝くかも!?裏の鎮守の森の奥にも、祠があります!しかし、境内からは見えないので見つけにくいです。
森の奥は手付かずの自然のままなので、行く時は自己責任でお願いします。
ふかふかの土に、太い根っこ、積もった葉っぱ、たくさんの枝やそこに住む虫たち…虫対策は必須!本殿の右奥より森に入ります。
神社自体は平地にあるので、お参りしやすいです^_^
周防國一ノ宮である事を知りませんでした。
黒柏(クロカシワ)という黒い鶏が放し飼いになっています。
解説を読むと、何と天の岩戸の伝説に出てくる鶏とのこと(天然記念物です)。
野太く、やや長めの『ゴケゴッゴ〜〜〜〜〜(すべて濁音です)』の雄叫びで出迎えてくれます。
また、何と数日前に生まれたばかりのヒヨコも見ることが出来ます(今しかありません!)。
御朱印も季節ごとに絵柄の入った物があり、人気の様です(5月は鯉のぼり)。
観音霊場巡りの途中に一之宮があれば寄ることにしており訪問。
黒の鶏が丁度帰ってくる時間ってことで寄せて見せてくれました。
朱印は書き置きもありますが、人がいれば書いてくれます。
限定朱印もありました。
しかし、霊場の寺の納経は納経帳ならお影こみで300円なんだが神社はどこも500円って申し合わせなん💦
何度もお参りさせて頂いている玉祖神社(たまのおや神社)さんですが~友達が「黒柏鶏が放し飼いにしてあったよ」と教えてくれ、驚いて訪問してみました‼️今までは境内横の鶏舎での観覧しかしたことがなかったので、天然記念物の黒柏鶏が放し飼いになっている光景は驚きでした‼️(o゚Д゚ノ)ノ人に慣れているのか、カメラを持って近くに近づいても騒いだり逃げたりする事がなく、至近距離で黒柏鶏さん達をじっくり見ることが出来ました🙆黒い羽が深緑色に輝く気品ある姿を吸い込まれるように時の流れを忘れるほど眺めていました❇️放し飼いが出来る平和な環境がいつまでも続いて欲しいと願っています🤲
のどかな周辺の参道から境内へ入ると涼やかな世界に引き込まれます。
古い由緒ある歴史の積み重ねと併せてしっとり落ち着いた雰囲気が印象的です。
初めてお参りさせていただきました。
周防国一ノ宮、由緒のある神社とのことです。
黒柏鶏が境内を歩き回っておりました、人に慣れているようで全然逃げないんですね(笑)あまり広くはないのですが、静かな佇まいでとてもよい空気でした。
高速のインターからも近いので、またお参りできればと思います。
現在の呼び名は「タマノオヤジンジャ」であるが旧来は周防国一宮であった事から「イチノミヤタマノオヤシャ」の呼称が一般的であったと言う。
延喜式神名帳にも名がある式内社であり、また周防国一宮としても有名。
旧社格は国幣中社で現在は別表神社に列せられています。
祭神は玉祖命(タマノオヤノミコト)ともう一柱あると言うが、社記を調べても不詳との事。
玉祖命は天照大神の天岩戸隠れの際に使われた祭祀の八尺瓊勾玉(宮中で祀られている三種の神器の一つ)を作った神様として知られ、また玉造連(たまつくりのむらじ)の祖神であり、当宮の宮司も代々玉造連の一族が務めていたとの事。
創建は古すぎて社伝でもはっきりとせず、景行天皇12年(82年)の筑紫行幸の際に剣を奉納されたとされ、それが宮前の森と言われているらしい。
当宮の所在地に関して言えば天岩戸隠れの後、玉祖命は中国地方を平定され、御隠れ遊ばされたのがこの地という。
確実な史料では天平8年(736年)迄遡れるとの事。
何れにせよ有数の古社であるのは間違いないですね。
境内は小ぢんまりとしていながらも、凛とした空気が流れ清浄さを感じます。
社殿は流造、屋根は鰹木は無く3組の外削ぎの千木があります。
駐車場は鳥居の前に数台が止められます。
土曜日の昼下がりに参拝しましたが、参拝客は私達だけでした。
御朱印は書置きですが二種類あり各々初穂料は¥500-で頂く事が出来ます。
また玉祖神社略記という冊子は¥100-となっています。
社は小さくとも由緒正しい素晴らしい神社でした。
さすが周防一の宮の風格。
御朱印は社務所に書き置きもありましたが、たまたま神職の書き手の方がおられて書いていただけました。
国の天然記念物黒柏鶏の発祥の地という岸信介書の石碑が入口にありました。
奥に鶏舎もあるのですが、たまたまつがいの2羽が境内に放されていて、人に慣れており近くで見ることができました。
羽がキラキラと光沢のある美しい黒。
長鳴き鶏で、本当に鳴き声が長くて面白い。
知らずに訪れ、楽しい経験をさせてもらいました。
初参拝。
三種の神器「曲玉」を造られた玉祖命。
周防国一ノ宮。
神社の大きさは大きすぎず、天然記念物の黒鶏がいます。
ご朱印は500円、達筆です。
神社は古く、柱なども手直しが必要な感じがしました。
奥手の柱などの装飾は派手さはないですが、宮大工の技術がみえる場所です。
手水舎の柄杓がステンレスで深く水がガッポリ入ります。
始めて見る神紋でした。
御守りは黒鶏の可愛いものがあり、音が出ます。
笑えます。
達磨みくじも初めてでした。
勾玉の御守り、ちょっと欲しくなります。
現存する社殿は、1750年長州藩第6代藩主「宗広」により建替えられたものだということです。
毛利家(財政難ではあったが)の威信をかけたしっかりとした立派な建造物です。
縄文・弥生時代に端を発していると考えられる森(社叢)とこの社殿とが相まって、荘厳な雰囲気を醸し出しています。
その他にも歴史を感じさせる石碑や石像(狛犬?)等が境内及び参道に多数存在しています。
周防一宮ということで、壮麗・壮大な神社を期待して遠方から来られる方もいらっしゃるようです。
しかし、古代、この地(郷)は佐波川の河口部に位置し、又、遠浅の海の海岸線(砂丘)にも近いため、稲作のための困難な開拓が進められていたと考えられます。
このため、元々この地(郷)を守護する神が祀られていたのではないかと思います。
怖れ多いことに、玉祖命がこの地で薨去された(実証はない?)ので、改めて祭神としてお祀りされたのではないでしょうか。
いづれにいたしましても、中央政権から遠く離れた鄙の地の神社ゆえに、壮麗・壮大さに欠けるのもやむを得ないでしょう。
しかし、国津神系統の開拓神としてこの地(郷)と深い繋がりを持ち、娑婆郡玉祖郷の人々の厚い崇拝対象となっていた神社を「一宮」として選定されることが事実としてあったのではないでしょうか! ともかく、内陸部にある樹木と海岸に近いところにある樹木が混生した社叢は社殿とともに防府(周防の国府)の歴史と文化の遺産として大切にしたいものです。
昨今、近くの佐波川上流域の下右田では休耕田の急速な宅地化が進んでおり、又、大崎辺りでも開発行為が進んでいます。
防府市の100年先を見据えた土地利活用のビジョンを市御当局に示していただきたいものです!
山陽道防府西インターの近くにある静かなお宮です。
平安時代(927年₎に編纂された延喜式にも載っている由緒正しいお宮です。
社伝によると、景行天皇₍西暦200年頃₎が奉納された剣が社宝として残されているそうです。
往時は佐波川から参道が真っ直ぐ伸びていたそうですが、山陽道建設のため短くなっています。
境内には古代から伝わるという黑かしわ鶏が飼われています。
伝わる伝説の古さからすると、このお宮の北東にある大日古墳の被葬者との関りもありそうです。
道沿いに大きな看板が出ていて以前から気になっていたので、仕事の合間に参拝してみました。
駅から遠いためか、平日だからか、自分以外誰もいなくてひっそりとしていました。
言わずと知れた周防国一宮!防府駅からレンタサイクルで30分くらいで到着です。
一宮だから賑わっているのかな~と思いましたがまったく人の気配がなく神妙静穏に参拝させて頂きました。
今回予定が押して長く滞在できなかったので、近くに来れたらまた参拝させて頂きたいです。
岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った。
天孫降臨の際瓊瓊杵尊(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として随伴した。
防府市大崎の〔玉祖(たまのおや)神社〕に芭蕉句碑がある。
何の木の花とも知らすにほひかな 隣に〔黒柏発祥之地〕の碑もあって、これは岸信介氏の揮毫。
宮司の説明によると黒柏は、天孫降臨の際に一緒にやってきたという。
実際に数羽が境内で飼われていた。
わざわざ案内までして頂いた。
感謝。
名前 |
玉祖神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0835-24-0474 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
ご縁あり、たまのおやさんにお参り参上いたしました。
参道もありそちらから歩き鳥居をくぐらせていただくと空気が変わります。
黒柏さんもたくさんおりとてもよき日のお参りとなりました。