先代の千々石直員終焉の地でもあります。
橘神社、釜蓋城跡を訪問し立ち寄り参拝しました。
由来等は写真のとおり。
荘厳な雰囲気です。
当地は千々石ミゲル生誕の地であり、先代の千々石直員終焉の地でもあります。
そこに雲仙市千々石町のみなさまにより、千々石ミゲル清左衛門※供養碑を建立いただきました。
写真は2022.4.25に行われた建立式の様子です。
その前日に、諫早市山川内(旧大村藩伊木力村)の墓所が「千々石ミゲル墓所」と確定されたというニュースがテレビ各局と新聞各紙で報道されたというタイミングでした。
徒歩ならば橘神社から入るのがよいでしょう。
写真の一部はFreehand中尾氏撮影のものを転載しています。
※千々石ミゲルが天正遣欧使節としての欧州往復8年の旅を終えて帰国した後、その約10年後に還俗して大村藩に仕官した際の名前が「千々石清左衛門」。
供養碑には洗礼名と還俗名を記したとのことです。
名前 |
天満神社(己) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
千々石ミゲル清左衛門供養碑を訪問しました。
諫早市多良見町の発掘調査により千々石ミゲル夫妻の墓が確定したため、遺骨の一部とともに、千々石ミゲル生誕の地であるこちらに供養碑を立てたということでした。