防府市街を見渡すことができました。
かつては五重塔の予定だったそうですが、今も残るこの楼がゆったり、雄大としていて好きです。
広々とした空間で多くの人が気軽に眺望を楽しめ、心地良い空気が感じられます。
山口県のビュースポットで五重の塔の一層目と同じ様な作りらしい。
天満宮自体が高台にあるがこの春風楼は防府市内の街並み見おろすかたちとなっている。
近年では地方でも高層建造物が増えており過去と未来の境目から眺めている気分にさせられる。
結婚の写真撮影をされていました。
五重につくられていたらどれほど素晴らしい建築物になっていたことでしょうか。
掠れて見えにくくなっていた絵、復元されたらまた見に来たいです。
春風楼は10代藩主・毛利斎煕が社頭に五重塔の建立を思い立ち、文政5年(1822)6月大専坊に於いて地鎮供養の祈祷をしましたが、資金調達中、天保2年(1831)不慮の支障に遭い一時中止となりました。
その後、塔の設計を現在の重層の楼閣様式へ変更し、明治6年(1873)に完工しました。
訪:2020/11/28
この見晴らしのいい楼は、五重塔として建立されるはずでした。
文政5年(1822年)毛利氏10代藩主 毛利斉熙は、天満宮境内に五重塔の建立をはじめます。
しかし、天保2年(1831年)小鯖の皮番所を発端に長州全域にまたがる「天保大一揆」が起こりました。
この一揆をきっかけに藩財政の見直しが行われ、五重塔の建立は中止されました。
完成していれば、高さ約48mの日本で一、二を競う大きな塔だったそうです。
その後、重層の楼閣様式に変更されて、明治6年(1873年)に春風楼は完成しました。
この楼の床下の木組は、五重塔の一層軒下の組物にするべく大工が準備し細工したものです。
建立当時の意気込みを感じることができます。
予定通り五重塔が完成していたら、さぞ立派なものだったんだと想像します。
でも、五重塔だったら今のように建物の中に入って防府の街並みを眺めることはできなかったと思いますが。
なお、建立予定であった五重塔の1/20の模型が名田島の霊光院(岩屋山地蔵院境内)に残っています。
この模型は、宮市町の大工 松屋嘉右衛門が五重塔建立に先立って造ったものです。
20数年ぶりに来た防府天満宮。
前回来た時、この春風楼が1番印象に残っていました。
高台から防府市をのぞむ景観は素晴らしく、清々しくあります。
防府市を訪れた際には是非防府天満宮に寄って、ゆっくりした時間を過ごして欲しいですね。
今回の単身赴任中、数名訪ねてくるみたいなので、アテンドしたい場所の1つですね。
見晴らしの良い縁側のある建物で、節分の舞台となるそうです。
軒下には古くて大きな絵馬が掛けられています。
床下には竣工しなかった五重塔の一部が組み込まれています。
春風亭があります。
防府市のWebによると、”建設を断念した五重塔一層部分の軒下の組物をそのまま床下に組み入れた楼閣様式のお龍堂を完工した建物で、この楼から眺める市の全景や瀬戸の風光は四季を通じて春風のように絶佳で春風楼という名にふさわしいものです。
”と、あります。
早速、階段をのぼりそよ風を味わいました。
名前 |
春風楼 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0835-23-7700 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
1873年完工と聞けばこの建物の頑丈さがよくわかると思います。
柱だけで重い屋根を支えるのは大変でしょう。
奥に行くと防府市内が見渡せます。