見ることが出来ませんでしたが移築された大井町の別宅...
5時過ぎに訪れたので、営業?は終了していましたが、外観は見ることができます。
伊藤博文は、ここからすぐ近くにある松下村塾へ通って学んでいたそうです。
感慨深いです。
旧宅前の坂を下ったところに5〜6台駐められる無料駐車場があります。
旧宅は特に見応えがあることもありませんが、伊藤博文の生い立ちなど詳しく知るきっかけになりました。
道の細い住宅街の一角にあり、あまり目立つ場所ではありません。
松陰神社や松下村塾から近く、伊藤博文は実際にここから松下村塾に通っていたという話で、今まで両者は別々に知識としてはありましたが、伊藤博文と吉田松陰の繋がりを知ることができて、なかなか興味深いものがありました。
見学は建物の外側からのみですが、内部も一部は見えます。
こちらは料金はかかりません。
隣接して別邸があり、そちらは料金かかりますが、中に入ることもできて解説もあります。
松陰神社の駐車場より200m程です。
途中に池田屋で落命された吉田稔麿様の生家跡がありました。
訪問時は雨漏りの修繕工事で立ち入り禁止でした。
(2022年現在は修復工事が完了し一般公開は再開している模様)修復工事の詳細は萩市の観光協会のHPで詳細レポートされています。
こちらも見応えがあります。
伊藤博文が13歳から26歳の兵庫県知事で赴任するまで過ごした旧邸です。
30坪程度の茅葺きの木造の住宅です。
隣にある大きな別邸は総理大臣時代に東京の大井にあった邸宅を移築したものです。
出世前後の対比も見物です。
もともと農民だった博文の父の重蔵が長州藩の足軽の伊藤家に養子になり現在の光市の農村から当地へ引っ越しました。
青年の博文はこの地から近所の松下村塾へ徒歩で通ったとのことで、同じ道を歩いたと思うととても感慨深いです。
いいですねえ、この建物で伊藤博文が生活していたのかと思うと感慨深い。
名だたる維新の英傑達が時には集って鍋でもつついてたりするのだろうか?と想像すると凄いなと思います。
萩に訪れた際は是非立ち寄って欲しい場所ですね!
昔の1000円札の肖像、伊藤博文さんの別宅です。
伊藤博文の銅像がある伊藤博文旧宅は、茅葺き平屋建です。
2020年に訪れた時には屋根にカバーが被せられていました。
写真は、伊藤博文別宅から撮影したものになりますが、伊藤博文が幼少期を過ごし、ここから徒歩数分の松下村塾まで通っていたかと思うと、非常に感慨深いものがありました。
社会の教科書にも登場する超有名人の旧宅、子供時代を過ごした家ということで、子供たちも興味津々。
やはり本の中だけでなく、現場を訪れるとすごく身近な存在に感じられますね。
2021年末まで修理中。
萩に来たら吉田松陰、伊藤博文は外せない。
最近は伊藤博文の名前をめっきり聞かなくなったのはえみたんだけでしょうか。
現在は改築工事中で、全体的な建物は見れない。
案内係とても上手分かりやすくて良かった。
2019/11/4来訪。
屋根にシートがかけてあり改修中のようでした。
中は見られなかったような気がします。
旧宅が改装中で、見ることが出来ませんでしたが移築された大井町の別宅が見られました。
ニコンが手放した後ここに来てたのね。
補修作業中でまったく中が見られないのならGoogleナビで分かるようにして欲しかった。
裏に無料駐車場7台止められます。
初代総理大臣ですから流石に立派です。
資料も展示してあり、勉強になりました。
東京から移築したけど、広すぎて全部は出来なかったのが残念ですが、素晴らしい建物から、伊藤博文の凄さが伝わって来ました。
歴史的文化財の所は、やはり訪れてみるものです。
2018年8月訪問。
旧宅は大雨の被害で雨漏り修繕中でした。
別宅は問題なく公開していて入場料100円ですが、萩観光の共通券も置いてあります。
観光する所と合致するなら共通券を買い求めた方がお得です。
真夏で快晴でしたが、離れた台風の影響で北風が吹き、爽やかな風が開放された窓を通り抜けており、畳の上で一日中ゴロゴロしたい気分になる部屋でした。
伊藤博文の品川の家(一部、実際はもっと広い)を萩に移築しています。
公的なところには贅沢な作りを施し、私的なところは質素にするなど、細かく見ると面白いです。
例えば、贅沢な作りとして、客人を迎える部屋に通ずる廊下には、なんと樹齢2000年の杉、かつ、節のない一枚板を天井に使っています。
対して、質素な作りとして、個人の部屋の天井には節だらけの板を使っています。
お客さんが少ない時には、こういった興味深い話を、係りの方が説明してくれますよ。
伊藤博文は本当に偉大なのか?、ワシには到底そうは思えん。
西南戦争が過ぎ大久保利通の暗殺を最後に維新の大立者はすべていなくなってしまった。
真っ当な者はほとんどが下野し政府には人材が残っていなかった。
さあそれからは、残った小物たちが明治政府という名を借りて、私腹肥しの利権漁りと権力闘争を始める。
そして役人のための政府を作ってゆくのである。
見てみれば分かる、権力者は全国のあちこちに豪邸別荘を建てまくり、庶民からは想像もつかない生活を送るのである。
ここもその一つだ。
明治になっても人々は貧しく、娘を売って生活の糧にすることは江戸時代となんら変わってはいなかったのだ。
そのような歴史の上に立って、この屋敷を見てみるのも一考だと思う。
屋敷が立派であるほど物悲しくなってしまうのはワシだけだろうか。
修復工事中でした。
中に博文と奥さんの写真が飾ってあり、奥さんの写真は滅多に見ないものなので見ることができ良かったです。
日本人として訪ねても良いと思う。
伊藤博文の様な冷静な人がいたことが長州藩を救いました。
吉田松陰や久坂玄瑞や高杉晋作や大村益次郎様な行け行けの人ばかりでは、倒幕は出来ても、ぶっ壊すことは出来ても、明治維新は成功しなかったでしょう。
元々、あった物でなく、一部を移築した物。
伊藤博文の陶像。
元は1904年神戸市・湊川神社にあった像⇒1905年7月⇒引き倒し⇒兵庫県知事服部一三が保管⇒萩市へ寄贈1930年伊藤博文旧宅前に設置⇒戦時供出⇒台座現存、陶製となる。
名前 |
伊藤博文旧宅 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0838-25-3139 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
吉田松陰の松下村塾から徒歩数分のところに伊藤博文旧宅と別邸があります。
旧宅は木造萱葺き平屋建て、29坪の小さなもので、萩藩の中間伊藤直右衛門の居宅でしたが、安政元年(1854)に博文14歳のとき、父林十蔵が直右衛門の養子となり、一家をあげて伊藤家に入家し、居住したそうです。