梅屋敷の名前の由来になった屋敷跡です。
梅屋敷という名の通り梅の花が堪能できるところですね。
キレイに咲いてる梅も何本もありました。
遅咲きのウメ(豊後)が咲いていました。
沈丁花の良い香りが園内を覆っていました。
狭いですが、梅の木が綺麗に整備されていますね、写真は先週と今日のものです。
以前、ウォーキングイベントで訪れたのを思い出して梅の季節に再訪です。
京急の梅屋敷駅のすぐ近く、またJR蒲田駅からも徒歩15分程です。
京急と第一京浜に挟まれた小規模な公園なので、所謂庭園タイプの名所では有りませんが、その分静かに自分のペースで梅見が出来ました。
近所からのいつもの散歩コースだろうと思われる人も多そうです。
撮り忘れましたが、手洗い場所やベンチ等、公園に必要なものも一通り揃っています。
明治天皇がいらっしゃった由緒ある公園。
小さいながらも梅が所狭しと咲いております。
ベンチや水道もあります。
脇にはなぜか土俵が。
ふらっと散歩するのもいいですね。
犬といっしょでも良いそうです。
たまに、ホームレス?の方がいます。
由緒ある公園でした。
ただ池に水が無く、工事中の箇所が多く見応えが軽減しています。
第一京浜沿いにこんな公園があるのは新鮮です。
京浜急行線の梅屋敷駅から徒歩5分くらいで着く、梅屋敷の名前の由来になった屋敷跡です。
江戸時代に薬売りの初代が売薬で儲けた収入をもとに2代目が店舗跡を今でいうホテルやカフェに改装した感じでしょうか。
由来を見る限り、将軍になる前の徳川家慶が鷹狩りの休みどころにしたほどですが、特に身分が高い人でなくても江戸時代は開かれていたように見受けられます。
それにしても、徳川将軍家は様々な場所を鷹狩り場にしたものです。
徳川吉宗は新小岩や江古田、御三家は三鷹を狩場にしていました。
時代が下り明治時代になると天皇にも気に入られ、9度の行幸があったとか。
訪れてみると…少し季節を逃したか、梅や藤をはじめとした木々は緑の葉をつけ、あやめも花が散って単子葉植物特有の細長い葉っぱがわさわさ生えているくらいでした。
松とかは雅やかでいいのですが、どうも京浜第一の拡張でこの公園は縮小されたようであり、京急も際まで通っているので、様々な交通機関にちびちびと削られているのでしょうかね…。
今一つ過去の面影が思い描けず、本来の広さとかどんな屋敷があったのか、往時を偲べるプレートなどがあると良かったのでは、と思いました。
また、中央の池はおそらく枯山水の類ではなく、底が湿っているので水を張っているのが本来の姿だと思うのですが…この暑さで水が流れていないのは今一つ公園としての魅力に欠けると思うのです。
そのせいか、公園にいるのはご老人ばかりでした。
犬を連れた人たちが仲良くお話に花を咲かせていました。
あんまり子供向けの場所ではないのかもしれませんね…。
一応、風情のある場所です。
ハトやスズメをはじめ鳥たちも多く、行く季節によっては華やかな場所だと思いますが…今一つ惜しいと思わされたり、明治天皇が好まれたり木戸孝允や伊藤博文が来ていた頃のように貴人・要人にだけ開かれていた時代も終わり、今は誰でも訪れられるので、もう少し江戸時代の分け隔てなく人々が訪れた頃の側面を強調してもいいのではないか、と思いました。
[梅屋敷の由来]梅屋敷は、山本忠左衛門が和中散(道中の常備薬)売薬所を開いた敷地3000坪に、その子久三郎が文政の頃(1818~1829年)に、梅の木百本をはじめとしてかきつばたなどの花々を植え、東海道の休み茶屋を開いたことに始まると言われています。
当時は後の12代将軍徳川家慶が鷹狩りの休み所とした程の屋敷で、その雅趣ある風情は多くの文人、行楽客、東海道の旅人を集め、とくに梅の開花期には非常な賑わいを見せたようでした。
[明治天皇と梅屋敷]梅屋敷は、明治元年(1868年)から明治30年(1897年)の間に天皇の9度の行幸がありました。
天皇はことのほか梅屋敷の風致を好まれ、明治6年(1873年)3月6日のご観梅の時には小梅一株をみずから御手植えなされ、この梅は仙粧梅と称されて後に人々に愛されたと言われています。
その後昭和8年(1933年)に史蹟として保存指定を受け、昭和13年(1938年)に東京市へ寄付、さらに昭和28年(1953年)に大田区に譲渡され、現在に至っています。
京浜急行電鉄各駅停車梅屋敷駅改札を右手第一京浜国道15号線に出て右手川崎方面へ、徒歩にして4〜5分程度進んだ場所にある公園である。
京急蒲田駅からでも徒歩10分程度である。
電車の便を考えるならば京急蒲田駅から歩く方が良い。
梅屋敷公園は大田区のホームページによると元々は江戸時代の東海道の旅人の為の薬(和中散)の売薬所の敷地に久三郎氏が梅の木数百本他を植え、休憩の為の茶屋を作ったことが始まりとあり 、歌川広重の江戸名所百景に蒲田の梅園として描かれている。
明治期には明治天皇の9度の行幸がある。
京急電車が見えます。
梅の名所です。
初めて行きました。
駅から近いし便利。
沢山の種類の梅の花が咲いていて、国道沿いとは思えないほど、園内は静かで、ほっとする公園でした。
公園全体が綺麗に整備させている。
しかし、道路拡張工事で公園の半分ほど、消滅してしまう模様。
緑が多くて癒やされます。
また京急電車が見えるのもよい!!
将軍やシーボルトも立ち寄った梅の名所。
聖蹟ってことは天皇お立ち寄りの地。
お茶でもしたのかな。
東京都大田区にある和風庭園。
文政年間に薬屋を営んでいた山本久三郎 が、梅を始めとする多くの木を植え、茶屋を開いたことが起源とされています。
明治元年から明治30年にかけて明治天皇の9度の行幸があったそうです。
広くはないが、赤、白、黄色の梅が咲いていて、梅の匂いがし、日当たりも良く落ち着きます。
公園の前は大田区体育館です。
弓道場がなくなって寂しい感じが少ししました。
土俵は、残っていました。
高架下、大通り沿いにあるので、騒音が大きいですが、ベンチや東屋があり休憩している人多数。
庭園のような公園。
木々と花々がいたるところにありとても癒されます。
ベンチに腰掛けてゆったりするのもいい。
トイレや水飲み場もあります。
遊具などはありません。
平成30年2月11日訪問。
久々です。
道路拡張工事でこの由緒ある公園が消滅したのかと思っていましたが、健在でした。
よかった。
やはりここのウリは梅です。
結構咲いてましたよ。
ご近所の方の憩いの場所 ベンチでくつろいでいると遠くでご夫婦が待っておられた❗
江戸時代は将軍が来たり、浮世絵もあり、明治天皇も2度?来られた由緒ある公園です。
ボランティアの方のご尽力と思いますが、ゴミ箱も設置されています。
多種の梅が植えられて、1月から梅が楽しめます。
池上の梅園より規模は全然小さいけど、好きだなぁ。
なんか落ち着きます。
蒲田駅から近いので、ちょっと散歩するのにちょうど良いです。
長い間京急の高架化工事で敷地を使われていましたがきれいに直され石碑もまた見れるようになりました。
弓道場は第一京浜を挟んだ向かい側の大田区体育館に移りましたが土俵は残っています。
古くからある公園で、季節には名前の通り梅が綺麗です。
アジサイがきれいだったのでパチリ。
地味な公園です。
梅の花は散っていましたが、きっときれいに咲くでしょう。
梅屋敷は公園になっていて、あまり期待していなかったのですが、往時を偲ばせる梅ノ木が数本、趣がありました。
梅屋敷の名前の由来になった場所です。
また寒い1月中旬なのにもう梅の花が咲いていました。
なかなか綺麗です。
最近リニューアルしました。
※土俵がありました。
名前 |
聖蹟蒲田梅屋敷公園 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
03-5713-1118 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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国道沿いを歩いていてたまたま見つけました。
小さい公園ですが、今の時期梅がほころび始めちょっとした梅見物ができます。