社号は「しのぶそんくう」と読みます。
このあたりの土地に住む人々を守ってくださる「氏神様」だとお聞きしました。
氏神様というのは、かかりつけのクリニックがあるように、「かかりつけの神社」みたいな感じの意味っぽいです。
大きくて有名な神社に行くと願いが叶いそうなイメージがありますが、近くでいつも話を聞いてくれる神社が一番らしいです。
願い叶うと良いなぁ☆
清州橋通りの北側、木立に覆われた境内に鎮座される志演尊空神社、珍しい名称の神社で(しのぶそんくうじんじゃ)と読みます。
由緒記に、「寛永元年(1624)に創建された当時は深川稲荷と称していましたが、元禄年間、将軍吉宗公が鷹狩りの途中で立ち寄り、「民の志を演ぶること殊勝なり」と称したことで、神社名が志演神社となった・・・」とあります。
400年の歴史を有する由緒ある神社です。
旧社殿は戦災で焼失したため戦後に再建されていますが、大樹に覆われた厳かな雰囲気の境内に佇むと、神社の長い歴史の一端に触れることができるように感じます。
この辺りの氏神様を祀っている神社がこちらだと神社本庁に訊いて行ってみました。
この神社の由来などを読みながらかつてこの近辺に住んでいた村民は生活しながら一日詣とかしていたのかな…と想いを馳せたり。
そういうフィルターで境内を見るとなんとも味わい深く見えるから不思議です。
何十年ぶりに行ってみた、こんなに小さかったかな➰☺️月1の朝市初めて行ったけど なんか良かった。
御祭神は倉稲魂命、須佐之男命、伊邪那美命、尊空親王、手力男命です。
由緒によると、1624年(寛永元年)、深川郷唐島開発の際、当地に訪れた菅原長寛(道真公より22代目)が村民の要請を受けて稲荷大神を鎮座して深川稲荷と社号を称し土地の氏神として崇め、徳川綱吉が鷹狩りの途中に参拝に立ち寄られ、「民の志を演ぶる事殊勝なり」と賞し志演神社と改名せられ、1712年(正徳2年)、当地に伝染病が流行した際、菅原快円が病魔退散、天下太平、五穀成就を祈念して紫灯大護摩を焚いたところ病は止まり人々はゴマの稲荷とも呼んだそうです。
1663年(寛文3年)、尊空親王は関東へ下向し深川五本松に隠棲。
親王没後、村人が親王の徳を敬慕し、邸跡に小祠を建て、村の鎮守として祀った。
その後、松平伊豆守抱屋敷内に祀られた稲荷大神を社殿と共に村内に寄付され尊空稲荷神社と称した。
1945年(昭和20年)、戦災により志演・尊空稲荷両社が焼失。
1947年(昭和22年)、両社を合祀し、社名を志演尊空神社と改名したとのことです。
元々有った「志演神社」と「尊空稲荷神社」が昭和20年(1945)3月9日の戦災により焼失しましたが、昭和22年(1947)に両社を合祀して社名を「志演尊空(しのぶそんくう)神社」と改名しました。
御祭神は倉稲魂命、須佐之男命、伊邪那美命、尊空親王、手力男命。
有り難く、”志演尊空神社”の御朱印を頂きました。
志演神社と尊空神社が、昭和22年に合併した。
志演神社の方の創建年は、寛永元年 1624年と言われていて、尊空神社の方は尊空親王と言う方に由来するが、正確な創建年は不明。
御祭神は倉稲魂命 須佐之男命 伊邪那美命 尊空親王 手力男尊。
境内はとてもいい雰囲気。
佇んでいるだけで気分が良くなる。
綺麗に清掃されている。
最寄り駅は東京メトロ東西線 南砂町駅、都営地下鉄新宿線 西大島駅で、それぞれの駅から徒歩20分前後かかる。
明治通りを歩いてくるとわかり易い。
夕暮れに行くと幻想的。
宮司様に丁寧に応対いただきました。
夏休みだからか、ラジオ体操の会場にもなっています。
御祭礼は8/22最寄り駅から遠いので、この界隈巡りをやりつつ訪れるのがよろしいかと。
良い雰囲気の神社です。
「江戸東京の農業 野菜の促成栽培は発祥の地・砂村」の説明板があり、下のように書かれてました。
野菜の促成栽培は 寛文年間(1661~73)の頃, 中田新田の農民, 松本久四郎が考案した と言われています。
初物を食べる というぜいたくが広がり過ぎると, 農家は米麦など基本食糧の生産よりも, 高く売れる 初物づくりに力を入れるようになり, また, 庶民のぜいたくは, 身分制度をゆるがすことになるとして, 江戸幕府はたびたび, 出荷日を統制する法令, 促成栽培禁止の町触れを 何回も出して, 取り締まりました。
この促成栽培の方法は, ゴミを堆積すると発酵熱が出るのを利用し, 江戸市中から出るゴミ(江戸ゴミ)を堆積, この熱を利用して 早く野菜の種をまくことで, 収穫が早くできるようになりました。
明治維新以後には一層盛んになり, 昭和に入って産地の中心が江戸川方面に移るまで続きました。
江戸ごみという都市廃棄物を農業生産に活用した, 見事なリサイクルが 昭和30年代まで展開されてきた事実にも 驚きと先人の苦労がしのばれます。
しのぶそんくう神社と読みます。
深い森の中にあるような神社で、木が大きいです。
しのぶそんくうじんじゃもとは志演神社と尊空神社だったものが合祀されたそうです。
地元の方がお参りする他はお祭りの時など以外は静かな所です。
秋はイチョウがきれいでした。
地元に根付いている神社です❗️
名前 |
志演尊空神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3644-1445 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
社号は「しのぶそんくう」と読みます。
本殿の裏手に5基の庚申塔が祀られています。
正面に六臂合掌青面金剛。
上方に瑞雲つき日月。
右上手に剣(?)、左上手に法輪、両下手に弓矢。
足下に邪鬼、下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)右側面に「延宝八年庚申八月十六日」(1680年)右手奥。
六臂合掌青面金剛。
上方に瑞雲つき日月。
右上手に戟、左上手に法輪、両下手に弓矢。
足元左右に二鶏。
足下に邪鬼。
下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)「□供養諸願成就」「元禄六癸酉天十一月廿一日」(1693年)奥から2番目は、三猿文字塔。
「青面金剛南無阿弥陀佛」「延宝三年八月四日」「乙卯」(1675年)下方に三猿(言わざる、聞かざる、見ざる)この庚申塔は、「砂村新田六地蔵」の庚申塔と全く同じ日に建立されています。
碑の形状、文字の配置、三猿の姿などよく似ていますので、おそらく同じ石工の手によるものでしょう。
それにしても、この日は何か特別な日だったのでしょうか。
奥から3番目は文字塔。
「青面金剛」「延宝八年」「庚申四月一日」(1680年)下方に蓮華。
正面の庚申塔と同じ庚申年の建立です。
最も手前に三猿文字塔。
言わざる、聞かざる、見ざる。
「寛文元乙丑年」「十月吉日」(1661年)こちらに祀られている5基の庚申塔のうち4基に三猿が刻まれていますが、その並び順が見事に一致しています。