全体的に30分あれば見渡せる規模。
全体的に30分あれば見渡せる規模。
登城口は駐車場内にはなく、駐車場に向かう道の途上に鉄塔に登る階段が見えてくる、そこが正解。
登城口に案内板や説明板がないが故になかなかどうしてどうしてわかりにくい。
遺構としては目立ったものは何も無い。
一旦、鉄塔付近まで登ってしまうとあとは延々と平坦な道が続いておりその道の両脇に随所に曲輪ぽいものが目視で確認できる。
兵士がぎょーさん待機できるなーとは思うものの、ただそれだけの城跡である。
途上もう一つ鉄塔がありその部分が主郭部であったのでは、と推察するもののあくまで私の想定の域を出ないことを付記しておく。
正直あまり面白味のない城跡である、と厳しく断定せざるを得ない。
三木城を兵糧攻めにするため築かれた付城の一つで三木城にある武将配置図によると明石与四郎がこの場所を任されていたとさえています。
ここに土塁等の遺跡が残っており、現存していると認識されているようですが実際には案内表示などもないためこの付近にかつてあったと見るのがよさそうです。
同時期に築かれた付城同様・森林の中にありますが、思った以上に平坦で広い土地構成になっており兵が待機するには適度な場所だと解ります。
現地に向かうには「道の駅みき」の第一駐車場までにある大型車専用駐車場付近に鉄塔整備道があり、そこから歩いて現地に行くことが出来ます。
またマップの航空写真で見ると第2駐車場付近に鉄塔整備道の道があり奥に進めるような表示がありますが違うので注意が必要です。
名前 |
羽場山上付城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.3 |
三木合戦の際、羽柴秀吉は平井山に本陣を置き、三木城を兵糧攻めにするため、廻りに30余りの付城を築き、三木城に毛利軍からの兵糧等物資が運び込めないよう包囲網を敷いた。
この付城は、そのうちの一つです。
小高い丘陵の上に築かれた付城であり、美嚢川の流れもすぐ眼下に一望できる場所にあります。
船で加古川を上がり、支流の美嚢川を伝って、兵糧等物資が運び込まれるのを監視していたと思われます。
この付城に関する案内板はなく、遺構も確認できません。