足利義昭が滞在した御所の一つだそうです。
水源地の桜を見に行きました。
その奥、少し登りが、キツいけど、自然あふれる歴史をかんじさせる修行の地…。
織田信長によって京都から追放された、室町幕府最後の将軍、足利義昭が滞在した御所の一つだそうです。
「唐門」が広島県の重要文化財に指定されました。
春になれば桜満開でピクニック出来ます❗
言わずもがなの桜の名所。
桜の季節にはお弁当を持参してグループで食べている方が多いです。
非常にフォトジェニックなスポットでカメラマンも多く来訪します。
日蓮宗のお寺です。
熊野町は日蓮宗の方が多いといわれています。
今年もまた訪れたいです。
間違えですユッタリシテマス。
桜の季節には、とてもキレイです。
とても整備されていて、春には景色が良いです。
詳しくないけど、歴史あるお寺らしい。
静かで空気が澄んでいる人混みで疲れてる人にはベストなところ。
桜の咲く頃ステキですよ秋の紅葉もすてきです。
◎足利将軍も滞在した凄い寺今なお格式の高さが伝わってきます。
◎歴史⚫︎室町時代後期から戦国時代にかけてこの地を支配した武将渡辺氏が作った寺。
⚫︎開山したのは日蓮宗の伝説的僧侶「日親上人」⚫︎渡辺氏は隣村にある浄土真宗西国最強寺院「光照寺」に対抗する為、領内の民衆や寺院に対し日蓮宗への改宗を強制し寺勢の興隆に寄与。
⚫︎室町幕府最後の将軍「足利義昭」は毛利氏を頼って鞆幕府を開くが、目まぐるしく変わる戦国情勢の中、行くあてのなくなった義昭は常国寺を頼って3年ほどここに滞在したと言われている。
⚫︎足利将軍滞在の名残りとして寺の正門の戸に足利氏の家紋である桐紋の浮き彫りが残る。
(見どころなので是非チェック)⚫︎関ヶ原合戦で敗北し領地を失った渡辺氏は当主の3男を寺に入れ第7世「日保上人」となる。
⚫︎さらに第8世住職「日感上人」は福山藩初代藩主水野勝成の甥と言われている。
因みに水野勝成は徳川家康の従兄弟です。
◎開山「日親上人」の伝説⚫︎室町幕府6代将軍「足利義教」に対し物申したことが災いし牢屋にぶち込まれる。
⚫︎水責め、火責め、鞭打ちの拷問で他宗派の念仏を唱えるよう強制されたが、その命に従わず舌先を切られ、さらには熱湯の入った鍋を頭からかぶせられたがそれでも動じなかった猛者。
⚫︎通称「鍋かぶりの日親」と呼ばれた伝説的僧侶。
⚫︎本殿前には日親上人の気魄伝わる像がある。
◎桜の名所⚫︎水源池の対岸から眺めると幻想的に美しい。
◎仁王像⚫︎仁王門の中に木彫の仁王像あり。
⚫︎明治時代に福山の深津村で廃寺となった薬師寺から売りに出された仁王像を購入したものらしい。
◎寺の評価⚫︎静寂な湖畔に位置するシチュエーションが最高。
⚫︎周囲の巨木が古刹の雰囲気を盛り上げる。
⚫︎仁王門から寺に続く石段がいい感じです。
⚫︎石段を登りきった所にある唐門の扉に施された足利氏の桐紋をチェック。
将軍滞在の証。
⚫︎常国寺開山の「日親上人」像もチェック。
⚫︎この寺、歴史も別格ですが、建物、雰囲気など福山市ではトップレベル間違いない。
◎私見こんなところに将軍様が本当に居たの?⚫︎この寺の隣には天然の要害を活かした渡辺氏の居城「一乗山城」があり、南に一山越えれば瀬戸内の拠点港である鞆がある。
⚫︎戦国時代にあっては鉄壁の守りと、各地の情報収集がしやすい場所こそ拠点を置くに相応しく、この地は将軍義昭にとっては最適な場所だったのかもしれない。
空気が澄んでいて暖かい心に包まれました。
常国寺(じょうこくじ)は、広島県福山市熊野町にある日蓮宗の寺。
山号は広昌山。
建立は1486年(文明18年)、当時沼隈半島一帯を領有していた渡辺兼1,(山田渡辺氏)による。
旧本山は京都本法寺。
親師法縁。
渡辺兼は、若いころ京で日親上人の説法に感動して帰依していた。
その後国に戻ると付近で辻説法をする老僧のことを聞いた。
これが日親上人であるとわかると、兼は上人を居館へ招き、上人に寺院建立を願い出た。
こうして常国寺は日親上人を開山として建立された。
また、常国寺は室町幕府崩壊期にも脚光を浴びた。
織田信長に追われて逃れてきた室町幕府十五代将軍足利義昭は毛利元就の庇護下で鞆幕府を開いた。
この鞆幕府の所在地となったのが渡邊民部少輔元の一乗山城であり、渡辺氏の菩提寺であったこの常国寺も幕府の重要な政務機関となっていた。
義昭は渡辺氏の格別の働きに感謝し白傘袋と毛氈鞍覆の使用を許し守護大名格としたのだが、この際常国寺にも唐門を送り、渡辺元はこれを将軍門と名付け現在でも市重文として残っている。
また義昭ゆかりの品も数多く遺されている。
Wikipedia引用。
格式のあるお寺です、
日親上人西国布教の道場として宗門史跡に指定されてます。
是非参拝しましょう。
良いところです。
|^▽^)ノ。
さくらの時期はいいですよ。
名前 |
常国寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
084-959-0006 |
住所 |
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評価 |
4.1 |
室町時代1486年に渡邊綱の末裔渡邊兼により創建された歴史ある日蓮宗の仏教寺院です織田信長に追放された室町時代最後の将軍足利義昭が滞在し一時鞆幕府として機能していたとの事で、寺院の伽藍には足利氏の家紋丸に二つ引き両紋が至るところに施されており本堂裏の墓所には一乗寺山城主渡邊氏歴代の墓が並び、裏山には足利義昭供養塔と伝わる宝篋印塔の相輪が祀られています境内には江戸時代の木造建築である鐘楼、唐門、番神社本殿、樹齢数百年のケヤキの巨木等多数の福山市指定重要文化財があります熊野貯水池周辺を含め春は福山市の桜の名所として有名です。