馬渕新右衛門嘉甫の屋敷が存在していた場所で三の丸の...
田中城 三の丸土塁・家老屋敷跡 / / .
田中城を形成していた土塁の一部のようです。
南側から行くと中に入り、土塁に登る事が出来ます。
土塁の南側は、家老の屋敷が有った場所の一部みたいです。
名前 |
田中城 三の丸土塁・家老屋敷跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.fujieda.shizuoka.jp/material/files/group/125/sansaku2_95062535.pdf |
評価 |
2.7 |
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田中藩家老、馬渕新右衛門嘉甫の屋敷が存在していた場所で三の丸の土塁の一部が残っている場所。
馬渕新右衛門は本田家(本田正重家系)の沼田城時代の家老で、享保15年の本田家の上州沼田藩から駿州田中藩への国替えで400石を拝領していました。
本田家の史譚によると、馬渕新右衛門の父である馬渕茂太夫金積は、第2代本多正貫の命により、 徳川幕府で失脚して秋田の横手に流配中の叔父本多正純に身をやつして面会に成功し、正貴の伝言を伝え帰藩した功により、馬渕茂太夫を者頭に任じ録100石を賜い後裔を重臣としたとある。
本多正貫は本田正重の外孫(長女の息子)だったのですが、正重の2人の息子が早くに亡くなったため孫であった正貴が本田家の跡を継ぐことになりました。
本田正貴は本田正純の配下として大阪の陣に参戦して正純の薫陶を受けたようです。