素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命を祭神とする村社格の神...
素戔嗚尊、稲田姫命、大己貴命を祭神とする村社格の神社です。
下から参道が伸びており、その上に慶應年間の鳥居があります。
境内には弘化年間の地神塔や猿田彦神の石碑、古い狛犬、随身像、天明年間の大きな燈籠などが安置され、なかなかの見どころとなっています。
社殿は立派な造りとなっており、社殿脇には由加神社、天神社、荒神社などの摂社祠が奉られています。
あと、この神社には幹の曲がりくねったソテツや養合石という神の降臨する影向石が見られます。
子供のころはよく遊んでいた神社です、滝宮神社とも地元の方はいいまして、この美馬群には何ヵ所か滝宮神社があります、小学生のころまでの名前には午頭神社というていました今は八坂神社にどこも統一されています、西には薬師堂がありまして、現在の半田町の神宮寺はここから分かれて神宮寺となっていました、もともとは神仏混合の神社です、ご祭神はスサノウ神です、この地方にはスサノウ神の神社は多くあり、となり町の貞光町には祇園神社がありまして、スサノウ神のパートナーの松尾神社もあります、大山杭神様です、八坂神社の裏に回ると合祀された様々な神の祠を見ます、スサノウ神はおそらく淡路攻めの前にこの辺りの制圧に来ていまして、息子の大国主神を美馬町重清西の倭大国魂神社に置きまして、娘は中鳥井島のイザナミ神の所に預けています。
この神社では江戸の中期に神社本庁の命令を蜂須賀に依頼して五角神を建立しましたが、ここでは、あくまでもスサノウ神の神社だからといいまして受け入れることなく境内に五角神の石碑はありません、半田川を挟みまして対岸の約100メータくらい離れた場所に建立されています。
名前 |
八坂神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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評価 |
4.0 |
今は八坂神社ですが、京都の八坂神社と同じで明治の神仏分離以前には、牛頭天王と呼ばれ、牛馬の神様として信仰を集めていました。
山伏たちが遠くの信者の所までお札を配って、お参りを勧める方法で、広い信仰圏を持っていた神社です。
神仏混淆の時代には、神宮寺(別当寺)の社僧が管理運営を行い、その下に多くの山伏たちがいたようです。
ちなみに、讃岐の綾歌の滝宮神社もかつては牛頭天王社でした。
この神社も地元の人達は、滝宮と呼んでいたようです。
何らかの関わりがあるのかも知れません。
鳥居の東側に階段があり、もともとはこの階段の下が神社の表参道であったようです。
30段余りの階段を、登り詰めると正面に拝殿が現れます。
この拝殿は改築以前は、藁葺きで四方壁が吹き放しで村芝居の舞台として利用されていたようです。
1926年に瓦葺きにリフォームされ建替られています。
平面は三方切目縁で、宝珠柱付高欄が四隅に立ちます。
屋根は唐破風付き入母屋造り。
本殿は総欅造りの高床式の一間社。
袖には脇障子があり、木階は昇高欄。