道は険しく分かりにくい場所にあります。
どう考えても納得いかない神社です、本来、手力男神を祀るのには当然のことですが、これは猿田彦大神のことです、猿田彦大神は天照大神の右腕でありまして、猿田彦大神は天照大神より、ニニギ神が傘さ岬に来るので迎えに行くように命令がありました、落ち合い場所は大川原高原、すなわち高天原です、こだいには神社がありまして多くの女性預言者のいたところです。
預言者の役割は予言と光通信です、高天原は光通信の拠点ですから、今年に入り神社名と光現通の文字の石碑を発見しました、阿波に来た神々は阿南の海岸や小松島の海岸に漂着しております、中津峰を通りまして、高天原に来てから神山に来るのです。
ニニギ神は傘さ岬に漂着しましたところは現在の和田岬です、お遍路さんがかむります、あの傘です、猿田彦大神は高天原でニニギ神と会いまして、立岩神社側とは違うコースをとりまして、おそらくこの地点で休憩をしたのでしよう、後々ここに猿田彦大神の神社ができたのですが本来はニニギ神をお祭りしていましたのを、朝廷の命令で消されています。
それでかわりに豊玉比売神をいれていると分析、考察ができます、天照大神をいれますのは当然ですが、ここに違和感を感じます。
なぜにこうしたのかは、ニニギ神がここに来たということになれば、この阿波の地が高天原、邪馬台国に佐那河内村や神山町が本家、本元になるのは当然ですから消したのです。
これは迷惑なのはニニギ神です、天照大神の孫になりますから天照大神にしても納得は出来ないでしょう。
参考のために記載しておきますが、中津峰に38大権現がありますのは神々が通りましたがゆえにお祭りされているのです。
傘さ岬の写真を入れておきます。
徳島 神の絆会代表 谷 勤。
車で前を通りすがりました。
邪馬台國?歴史ロマン?今度行けと言われたらいけないかも?
良い(原文)good
千年続く村人に守られている。
道が本殿横まで開通して、案内版も道路に設置されました。
ご祭神:天手力男神・天照皇太神・豊受大神。
wikiには”古くから三社皇太神宮とも称され、三社様、三所様とも呼ばれている。
”とある。
自分は天手力男神に避けられているのか1度目は道に迷い、辿り着けず。
今回が2度目となる。
神社は山中の細い林道を延々と進んでいくため通常でも大変だと思われるが、2018年の台風の影響か、道中には落石と落ち葉や枝が散乱し、途中たどり着けるか心配になるほどだった。
到着したのは1月の17時過ぎ。
辺りは薄暗く、凍える寒さだ。
日中でも余り日が差し込まない場所のようであり、晴れていれば神秘さが増すが、夜の帳が差し掛かるこの時分は、闇の手が迫りくる逢魔が時の気配で満たされているようだ。
神社下には廃屋?廃バスがあり、益々その気配を強める。
拝殿奥には奥の院があり、天手力男神の神域があるとのことだが、とてもそこまで行く気分にはなれず2度目も敗退しました。
今回は拝殿だけ参拝させていただきましたが、それだけでもこの場所の神秘性を十分感じることができました。
3度目はいつになるか、天手力男神に認められるまで何度でも参拝させていただきます。
手すりがついて階段が楽になりました。
三社様・三所様と呼ばれ「先代旧事本紀」に「夫手刀雄神此者座ニ佐那県一也」とありこのすぐの奥の院は手刀雄神の塚古文書と地名と塚と古事記の記述が合致する場所として貴重。
古事記にタジカラオが坐すのは、佐那の県とあるとおり、佐那河内に有る社です。
三社様・三所様と呼ばれ「先代旧事本紀」に「夫手刀雄神此者座ニ佐那県一也」とありこのすぐの奥の院は手刀雄神の塚古文書と地名と塚と古事記の記述が合致する場所として貴重。
名前 |
天岩戸別神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
088-679-2264 |
住所 |
|
評価 |
4.8 |
道は険しく分かりにくい場所にあります。
ですが、さすが天手力命男をお祀りするだけあって力強いパワーが漲ってました。
疲れた時にパワーを貰いに行く神社とゆうのではなく、コンディション抜群の時に戒めと益々パワーを頂くとゆう感じの神社でした。
奥社も行きました。
静かな小高い山の上に石の祠が二社祀られていました。
ここも凄いパワーです。