四国八十八ヶ所巡りの15番札所です。
四国霊場 第十五番札所 薬王山 金色院 國分寺 / / / .
「烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)」トイレの神様の御札を頂きに伺いました。
とても笑顔が素敵で優しい雰囲気の住職さんでした。
御札は一体 五百円境内は清掃が行き届き綺麗で素晴らしいです。
道は狭いですが分かりやすい看板があり、ゆっくり運転すれば辿り着きました。
ありがとうございます。
札所でありますが、真言宗ではなく臨済宗。
京の都を感じさせる塀、そして阿波国分寺庭園があり禅寺らしさが魅力ですね雨の降った日でしたので、濡れた青石の艶やかな美しさもまた良いものであります。
本堂と同じくらい石組の力強さに圧倒されてしまいます小冊子「せとうちの庭園を巡る」やパンフレットもあり、分かりやすい。
徳島県徳島市国府町にあります15番札所阿波国分寺開けた場所にあり、開放感があります。
景色も良いです。
14番札所常楽寺から近いです。
四国八十八ヶ所巡りの15番札所です。
宗旨が真言宗でなく曹洞宗です。
立地が平地なので参拝しやすいです。
駐車場は無料ですが、さほど広くないので出発時には注意が必要でした。
阿波国分寺は15番札所で曹洞宗のお寺です。
四国霊場といえば真言宗のお寺と想像しがちですが、こちらは奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都学派に属する法相宗で、弘法大師が巡教された際に真言宗に、阿波藩速水角五郎により伽藍が再建されてから禅宗・曹洞宗寺院です。
ご本尊は薬師如来、開基は行基菩薩です。
正式名称は薬王山金色院國分寺です。
14番の札所常楽寺から徒歩約10分、16番札所観音寺から徒歩約35分、JR徳島線府中駅から徒歩約30分くらいです。
路線バスはかなり本数が少ないので私は歩きました。
ありがとうございます。
お庭を観ることで気持ちが晴れやかになります。
よくお手入れがされていてありがとうございます。
おかげさまありがとうございます。
2021年お遍路で歩きで参りました。
14番からは本当にすぐです。
6分程度で着きます。
この辺りは街中ですし、歩きお遍路でも比較的良い瞬間です。
石の庭園は見ていて飽きない。
札所なので本堂は何度か来たことがありましたが、裏の庭園は初めて。
彫刻家イサム・ノグチがユネスコ本部の庭園を作園する時に参考にしたとか。
本堂を取り囲む巨大石群はどれも面白く、300円の入園料を払って見る価値はあります。
歩きやすい境内です。
彫刻が特徴ある本堂と石の階段に特徴ある大師堂のお寺さまです。
2020年に逆打ち遍路を自転車で巡礼しました。
四国霊場15番札所になります。
工事中で仮本堂でお参りしました。
素晴らしいお庭は入れませんでした。
【四国八十八箇所】に属する寺院。
(八十八箇所の㊥では)数少ない【曹洞宗】に属しており【brownの木造建築】→“インスタ映えspot”として定評があります\(^ω^)/!!
現在本堂改修しておりますなんか国分寺って 淡路も若狭もすごくシンプル感じがする他の寺みたく 門があって階段があってみたいなのがなくて 急にどーんみたいな感じ。
2年ぶりにきました。
今年は逆打ち年なのでまだ15番には人がいませんでした。
13~17番まで近くにあるので移動時間を考えずにお参りが出来ます。
お寺にか近くには必ずと言っていいほどミカンが売られてる。
これもお参りの印なのかと思います。
現在、改修中ですが聖武天皇の時代に思いを馳せられる、歴史を感じる佇まいがあります。
四国八十八箇所霊場の第十五番札所。
聖武天皇が発した国分寺建立の詔により諸国に建てられた国分寺の一つで、創建は756年以前。
開基は行基によるものと伝えられる。
天正年間に長曾我部元親の兵により消失、1741年に再建され宗派も現在の曹洞宗となった。
その庭園は国の名勝にも指定されている境内には駐車場が有り、日出から日没の間まで無料で利用することが出来る。
本堂は現在修理中であり仮本堂が設営されている、これに伴って国分寺庭園の観覧料も無料で拝観することができる。
烏す沙摩明王像(うすさまみょうおう)の御札を受けに行って来ました。
一般的にトイレの神様です。
御札をトイレに貼ります。
不浄を清浄に変えて下さる神様だそうです。
四国遍路15番札所「国分寺」は、徳島県徳島市国府町の平野部に建っているお寺。
阿波国分寺というお寺自体は非凡ではあるが、周辺の道路が狭いので注意してください。
四国霊場には四県に国分寺があり、その最初の札所が「阿波國分寺」である。
仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位724〜49)は、天平13年に国家の安穏や五穀豊穣、政教一致、地方文化の向上などを祈って、勅命により全国68ヶ所に国分寺、国分尼寺を創建した。
奈良・東大寺はその総国分寺ともいわれる。
縁起によると、阿波國分寺には聖武天皇から釈迦如来の尊像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后のご位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。
開基は行基菩薩で、自ら薬師如来を彫造し本尊としている。
創建当初は奈良の法隆寺や薬師寺、興福寺と同じ南都の学派に属する法相宗であり、寺領は二町四方で、ここに金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。
この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されている。
弘法大師が弘仁年間(810〜24)に四国霊場の開創のため巡教された際に、宗派を真言宗に改めている。
その後、「天正の兵火」によって灰燼に帰しており、境内は相当に衰微していた様子が寂本著『四國禮霊場記』(元禄2年=1689)からも知ることができる。
寛保元年(1741)に阿波藩郡奉行、速水角五郎によって伽藍が再建されていらい、現在の禅宗・曹洞宗寺院となっている。
境内の遺跡から往時の栄華がしのばれる。
ここをあとにすると、数キロほど北東に進んで16番札所を目指す。
田園住宅入り交じるところ地元の方の道案内で近道かと思われる路地を抜け寺に着いた。
ここ寺は、聖武天皇が天下泰平を祈願して全国66カ所に建立した国分寺の一つ(741年) 山門くぐって正面に重層入母屋作りの堂々とした本堂があると言われるも,丁度改修工事中でネットに被われてすっかり外観もわからない状態にあった。
(2019年1月19日)隣接地の建物に仮本殿が設けられお参り出来た。
しかしお参り客は想像以上にあり駐車場も混み合っていた。
そんななか声をかけられお接待との親切にあった。
四国霊場15番札所、国分寺とは741年に聖武天皇が国分寺を68箇所を創建した一つです、ここは南の国分寺でして北の国分尼寺は敷地のみのこっています、この南の国分寺は当時は東西に220メータあり前に7重の塔をはいちしていました、なんといってもキンピカの国分寺でしたので聖武天皇は金色院国分寺と呼ばして、阿波国分寺とは呼ばさなかったそうです、総本山の東大寺より伽藍は立派なつくりでありました、それには訳があります、ここは神の領域なのです、キノベ山のスサノウ神の古墳のから、約500メータ離れた所に建立しています、聖武天皇は720年にキノベ山のスサノウ神の古墳にいきまして、私が最も尊敬する神はスサノウ神だといいました、そして国分寺を建立して、私が亡くなったら私と妻の光明皇后の位牌をこの国分寺に安置してほしいと言われまして、現在も大きな位牌が安置されています、地元住民は当時に、いかに天皇だろうと神道の中に他国の仏教をいれるのは嫌いまして反対が起こりましたのは当然ですが聖武天皇は、私は神仏混合の宗教をしているといいまして、住民を納得させたから燃やされずに建立出来たのです、そして御本尊を薬師如来としました、これはスサノウ神は薬の神だから薬師如来としたのです、この天皇の偉いところです、当時は法相宗でしたが難解なために曹洞宗に変更されております、のちに820年に空海が来まして宗派を変え御本尊も変えましたから住民は怒りまして寺を燃やしてしまいましたから空海も曹洞宗の国分寺として残しました、現在は小さな寺です、本堂を修復しています、ここの寺の見所は枯れ山水の古い庭園です。
國分寺の周辺には多くの史跡があり、注目のスポット、庭はすばらしいです。
二重屋根の古くて立派なお寺です。
住宅地の奥にあり、車でアプローチしにくい場所にあります。
安土桃山時代の作と伝えられる豪壮な石組による庭園は、多少の交通の不便を押してでも見る価値があります。
当時の様子が必ずしも十分にわからないため、意図的に現状維持に留めているとのことで、荒れてはいますが、好き嫌いなどは別にして、作庭者の意欲が伝わってきます。
工事中であまり建物を見ることができず残念でした。
シンプルなお寺さんでした。
2度目の参拝にて…納経所は少し奥にあり、ピンポン押すと音楽が鳴りお寺さんが対応して下さいます。
名前 |
四国霊場 第十五番札所 薬王山 金色院 國分寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
088-642-0525 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
四国八十八箇所の15番札所です。
田園に囲まれた住宅街にありました。
このお寺の宗派は、真言宗ではなく曹洞宗でした。
庭園があるそうなので、折角だから見学して行こうと思います。
国分寺の山号は薬王山、金色院が院号で本尊は薬師如来です。