名前 |
日枝神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.4 |
日枝神社とは、大山咋神の神社です、他には松尾神社、日吉神社、山王神社、があります、この気延山には二つの日枝神社がありまして、ここは、北の日枝神社です、南の日枝神社は新しく建立されています。
なぜ、南と北に建立されたか?これは、素戔嗚神とは叔父、甥の間になりますが、神山では兄弟の付き合いでした、天照大神がくるまでの6~7年間は、咋神様は福の神として、土着民から慕われていました、素戔嗚神は青鬼としていわれました、この祀られた神社や地名に名前が残っています。
ゆえに、この気延山に於いては、現在の天石門別八倉比売の奥之院が素戔嗚神の前方後円墳ですので、ここを中心に北と南に守りの形で建立されています、何故に天照大神の神社なのにと思いますが、天照大神の神社は、この天石門別八倉比売神社より北に、もともとありましたのを、蜂須賀10代目、重喜が神社本庁の指示にて、この地に移動させたのです。
ややこしいことをしていますから、一般の方は、あの白板を読んでも理解できないでしよう、私が今回取り上げた理由は、この蜂須賀重喜は大山咋神を崇拝していましたから、ここだけは何も変えておりませんから、分かりやすく、古代からの、祭り方が変化してないのが、唯一ここなのです。
神山においても蜂須賀重喜は、天照大神の左手宮八幡宮を移動さして、わからなくしております、私どもに理解されたら困る事がありますから、ややこしことにして、おります、朝廷の指図なのです、古事記でも邪馬台国、高天原、天の安河など名前は出てきますが、場所の選定はありません、故に学者の先生方も、様々な説を出していますが、決定的なものはないのです。
私は現場を歩き、客観的に現実的に見て判断をしております。
迷わされることなく、卓上の勉強では、理解出来ない研究に、次々と発見があります。