吉野川リサイクルセンターの看板方面への脇道に入りま...
県道43号線(チェリーロードライン)より、吉野川リサイクルセンターの看板方面への脇道に入ります。
この場所への道標は表示されていませんので、予め御注意ください。
しばらく道なりに進むと、道沿いに看板と石碑が出現しますが、ここからは徒歩により未舗装の道を進む事となります。
距離にするとおおよそ150mとなります。
坂道等は殆ど無く、比較的容易に到着出来ました。
又、専用の駐車場はありませんので、安全な路肩スペースを利用する事となります。
しばらく歩みを進めると、古い岩の手水舎が見えてきます。
ここより更に進むと木々が開け、周りが明るくなり、広場が広がります。
但し、夏季は草が生い茂っていましたので、足元には注意が必要です。
広場には祠や石碑、草に隠れていましたが、腰掛けもあります。
大変静かな場所で、祠の脇に生えた2本の松が印象的でした。
特に広場の柵からの見晴らしは良く、吉野川をはじめ、遥か遠くの山々まで見通せます。
更には桜の木も植えられていましたので、春季にも訪れてみたいものです。
気候が良ければ時間を忘れて佇んでしまえる様な、素晴らしい場所でした。
とりあえず、自分の足で確かめて(笑)
昭和の時代弟が遠足に行き集合写真を撮ったら鎧兜の武者が大挙で映り込んでいて大騒ぎになった勿論小学校内でも大騒ぎ写真は即回収廃棄されたが・・・:(´・ω・)ω・`):怖っ以前から土葬の瓶などがあちこちから出土した場所謂れのある場所は何かと厄介だ。
篠原兄弟の悲しくも深い家族愛🌠電車でのアクセスJR四国 徳島線 阿波川島駅徒歩 約40分車でのアクセス徳島自動車道 土成IC → 国道318号 → 国道192号 → 徳島県道43号周辺に駐車場無し上桜城の戦い(うえざくらじょうのたたかい)は、元亀4年(1573年)に阿波国の上桜城周辺で行われた合戦。
三好長治が阿波守護の細川真之とともに、家臣の上桜城主篠原長房を討伐した戦いである。
上桜城の戦い戦争:攻城戦年月日:元亀4年(1573年)6月―同年7月16日場所:上桜城周辺結果:三好長治の勝利交戦勢力十河存保軍香西軍(讃岐国)香川家の分家に香西家が居る香川軍(讃岐国)淡路国軍紀伊国軍篠原長房軍指導者・指揮官十河存保篠原長房戦力約10000兵約1500兵損害不明(両軍合わせて3000兵)上桜城炎上、行方不明(両軍合わせて3000兵)三好家の権限が大きくなり阿波細川家の権限が小さくなった🌠細川家は、河内源氏の足利家の流れをくむ🌠三好家は、河内源氏の流れをくむ甲斐源氏・武田の分家の分家(源👉武田👉小笠原👉三好)分家した経緯🌠阿波の篠原家は、桓武平氏の出身の人間が三好家に婿養子に成り源氏の流れをくむ篠原家の初代と成った詳細🌠🌠🌠🌠🌠細川氏(ほそかわし)は、本姓は源氏、鎌倉時代から江戸時代にかけて栄えた武家。
清和源氏の名門足利氏の分家。
名字は鎌倉時代に三河国額田郡細川郷(現在の愛知県岡崎市細川町周辺)に土着したことに由来する。
三好実休の重臣、篠原長房の居城。
主君の死後、阿波において遺児、三好長治を補佐していたが、長治に疎まれ、上桜城の戦いで討たれた。
案内が解りづらく迷いましたけど見晴らし良かった!
名前 |
上桜城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.4 |
川島が一望できる桜花見のオススメスポット。
春に限らず時々行きたい場所です。