この辺りでは大きめの神社です。
この辺りでは大きめの神社です。
東側に鳥居があり、その脇に人物が奉られていますが、誰でしょう?道実公?その横の燈籠は文政年間のものです。
参道から入ると、手前に広場、右手にご神馬、左手に何やら大きな歪曲した岩、が奉られています。
何の岩でしょうか?石段を登ると社殿があります。
社殿脇には弘化年間や文化年間の燈籠、数基の祠もあります。
神社脇の公園にパンダの遊具がシュールに奉られています😁コアラもいてます。
落ち着いていい場所です。
向麻山の神々は全て消されています、それは、仏教導入の820年ころのことです、現在の向麻山公園の上の公園に古代の神社がありまして、アメノヒワシノ神を祀り、大山ずみ神との交流がありましたから、二人の神をお祀りされていたはずです、ところが、西側の現在の石仏の並ぶ所に寺を建立しまして神社は消されてしまいました、ここは吉野川平野につきだした山ですので、天照神のキノベ山との光通信や対岸の黒岩大権現の大山積神や神山との交流がありまして栄えたところです、故に神の氏子も多くいまして、仏教導入時には仏教にはいるように強要されましたから、どうしても仏教には入りたくない庶民は山の下の遥拝所にて自決しております、私が調べた所では三か所ありまして、不動明王の立派なのが、まつられています、庶民を救う仏教が当時は自殺者を沢山だしましたことは嘆かわしいことです、仏教導入は簡単に導入できたわけでわありません、先人の犠牲者が沢山いたことは、この西日本では当たり前でした、この山の頂上を見ますと古い前方後円墳ですが後円墳部に木村神社なるものがありまして、これはのちの修けん道の神社になっていますから、仏教から見た神社に変更されています、この頂上には神の名前が大明神になっていますのは、仏教から見た名前です。
名前 |
國中八幡神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
女陰を暗示する岩でしょうか?青石にうねりが出来ていて珍しい岩だと思います😌