標高363mに鎮座される5体の祭神を祀られた大変由...
山道が急でした😅道中、登山の方とご一緒させていただき、神社でコーヒー入れてもらいました😁おいしかったです。
いろいろ教えていただき、またどこにでご一緒させていただきたいです。
神社には、階段と古いお社があります。
階段ダッシュ8秒古い燈籠や狛犬があり、歴史を感じる神社でした😁
“あらたえ” ゆかりの神社ですかね。
私の仲間からよく忌部神社について聞かれますから、この際に記載してみます、忌部とは普通の名前ではありませんね、忌部簇ともいわれますが、インド系列かともとれますから、古代神は神山に来たときにはインド用語を使うていましたから、元々はインドのバラモン教とは同じ兄弟宗教が当時のユダ国のゾロアスター教ですから、同じ言葉がまじります、現在も神山のかたはヒンズといいます言葉をよくつかいますから、残っているのです、さて種穂忌部神社が忌部の本部といったら間違いはないでしょう、クルマで登っても厳しい坂道でして、雨や雪の日は行かないことです、神社からは阿讃山脈が一望できますし徳島平野が吉野川を中心に見渡せますから、光通信の拠点でありましたことは間違いありません、御祭神はアメノヒワシ神となっていますが続いてアメノフトタマ神を祀ります、この神社を見ます時に鳥居をくぐり抜けますと右手に亀の頭石がありまして、明らかにスサノウ神の化身ですが、かといって神社の右手にには天照神を祀ります、神社の左には左端にスサノウ神を祀るという、全く分けのわからない神社ですので、御祭神はアメノフトタマ神か迷う祀りかたをされていますから、頭のなかには?マークが交差する神社でもあります、どちらでもいいのですが、私はこの両神は親子たと思います、忌部の神や猿田彦神は白人の師団でしてマナセ王の師団には12の師団がありました、その中に一師団白人のグループがありましたのが記載されております。
この山は山川町の西にあたりますから、その西には穴吹町があります、穴吹町を挟みまして貞光町がありまして、貞光町にも忌部神社がありますから、この両方の町は古来から忌部のルーツを本家だ元祖だと争いをしますから明治に二軒屋町の金比羅さんの山の上に神社本庁は移しました、私は分析、考察をしますなれば、これは天照神が両方の町に配置したものなのです、それは穴吹町古宮、口山の磐境神明神社の御祭神はニニギ神ですから、ニニギ神を守って頂くために配置したのです、この神社を囲んで様々な神を配置しております、古代史学者はこれに気づいてほしいものです、孫は可愛いものです。
忌部神社の一部の可能性あり。
景色が良い。
忌部神社の一部の可能性あり。
名前 |
種穂忌部神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
川田忌部山、標高363mに鎮座される5体の祭神を祀られた大変由緒ある神社です。
歴史は西暦1743年にまで遡り、県内におきましては数少ない古社でもあります。
何より、ここまでの道のりが極めて厳しい事により、参拝に訪れる事が叶った達成感は特に大きく感じられました。
広く距離のある参道をはじめ、苔むした石階段、拝殿から一望する遥か遠くのパノラマ状の絶景、更には本殿の見事な造り、全体から伝わる類を見ない佇まいと、この場所で、これほどまでに造り込まれた神社、境内には何より圧倒されました。
又、御利益もあり、当日、天候は曇り空で、雨が降りそうな状況でしたが、参拝を終えると同時に境内や遥か遠くまで日が差し込み、一瞬にして青空が顔をのぞかせました。
偶然かも知れませんが、まさかと思える様な不思議な体験に驚きを隠せませんでしたので、参拝前後の写真をアップロードさせて頂きました。
道のりが険しく、容易に参拝は出来ませんが、山川町の文化財を守る会の地元有志の皆様方のおかげで、境内あるいは舗道整備がなされている事を地元新聞記事において拝見致しました。
この活動を通し、より多くの方々が少しでも安全且つ容易に参拝を出来る事を今後より一層に願いたいと思います。