標高約70mの河岸段丘南端に築かれた太鼓塚古墳と棚...
段の塚穴 太鼓塚古墳 / / .
横穴の古墳が二基いにしえの雰囲気を感じます。
グーグルマップだと街道沿いすぐに見えますが、道路沿いではありません。
古墳があるところはやや高台になっていて、少し西に進んで右折して東に戻ります。
駐車場はあります。
石室内部にはいることができます。
高身長の方は頭上にご注意を。
横穴式石室のある2つの円墓からなる国指定の史跡です。
この段の塚穴太鼓塚古墳は、もう一つの棚塚と共に国の史跡に指定されている。
ここは、美馬市美馬町の県道12号池田鳴門線直ぐ北側上部に位置する!これらの古墳群は、古墳時代末期(6世紀後半∼7世紀前半)の横穴式石室を主体とする円墳である。
太鼓塚(棚塚も)は徳島県一の大石室であり、太鼓塚は石室全長は13.1m高さは10mを測る!棚塚は石室全長は9.2m高さは7mを測る!石室内に入ると、中は夏でもひんやりとする!!又、石室内の高さには驚きがある!!小姓は、日本中でもこれだけの高さがある石室は見たことがない!?
史跡があると知り、行ってみました。
穴に入ると感じる石室の涼しさ、とても静かで心が落ち着く気持ち。
真っ暗な中にキラキラと光る石が美しい百聞は一見にしかずとはこのことですね是非味わってほしい「体験」でした※車でマップナビを使って探したのですが、その地点で停車はできないのでラーメン屋優香さんでご飯を食べて少し停めさせてもらうと徒歩ですぐです、あとは坂を登るor下る前に標識があります。
そこから車で行く坂道で車もスピードが出ますし、お気をつけてくださいね美馬市の案内より↓段の塚穴は、徳島県美馬市美馬町字坊僧の河岸段丘先端にある2基の古墳のことです。
2基の古墳は、どちらも古墳時代後期(約1400年前)につくられたもので、約25mの距離を隔てて東西に並んでおり、東の大きい古墳が太鼓塚古墳、西の小さい古墳が棚塚古墳と呼ばれています。
特に太鼓塚古墳は、その石室規模や特異な構造から、四国の古墳時代史解明に欠かせない重要な遺跡であり、昭和17年に徳島県初の国史跡に指定されています。
昔の人は凄いなあと改めて感心しました。
段の塚穴は、標高約70mの河岸段丘南端に築かれた太鼓塚古墳と棚塚古墳の東西2基の円墳の総称です。
この2基は、どちらも古墳時代後期の古墳であり、埋葬施設の横穴式石室がこの地方独特の構造(段の塚穴型石室)をしていることが大きな特徴です。
東の太鼓塚古墳は、径約34m、高さ約10mの円墳で、石室は、南に開口し、全長13.1m、玄室長4.6m、最大幅3.8m、最大高4.2mであり、四国最大級の規模の横穴式石室です。
西の棚塚古墳は、太鼓塚古墳よりひとまわり小さく、径約20m、高さ約7mで、石室は南に開口し、全長8.6m、玄室長4.6m、最大幅1.9m、最大高2.8m、奥壁に古墳名称の由来となる石棚があります。
地元にいながら 初めていきました 想像以上で 入口から 一歩踏みいると 空気がはりつめて ヒンヤリと していました 色々な大きさの石を 重ねしっかりとした 部屋になって ました。
結晶片岩の積み重ねと天井岩のバランス、ドーム状の石室、素晴らしいの一語!
あっさり味だがたまに食べたくなる。
段の塚穴、珍しい古墳です、古墳の中に棚があるのはここだけです、この郡里は、古代に栄た所です、Googlemapをみていただきますとヱビスの地名があります、これは事代主神をまっる神社が古代にはあった所です、ここを中心に西側に寺町があります、現在は四件ですが700年代には最も古い立光寺跡がありまして、寺に囲まれるように神社があった所です、この時代は神社の勢いを止めるのが目的で寺を建立したものですから、それも朝廷が建立していますから、菊の御紋の寺ばかりでした、空海より古い時代のものでしたから禅宗系列の寺です、当時はヱビス様の父親も西の重清に倭大国魂神社がありますところが大国主神の本家ですから、ヱビス大黒福の神とはここから生まれた言葉なのでしょう、でも繁栄はいつまでもは続きません、そして寺のみ残りました、寺町の紀元です、もちろん神の領域に寺を建立するのは争いのもとですから、それも地元民はボランテアで寺の建立に駆り出されましたから、相当の争いのあった所です、私も詳しい経緯を書けないのは残念です、さて、面白いのは池田の山の上の雲辺寺から鴨島の藤井寺までの間は約50キロは越える空間に四国霊場はありません、本来はここの郡里に作るべきだったのですが、江戸中期に四国霊場をつくりました時に漏れたのでしょうか???なんらかの事情があるのでしょう、不思議です、話を変えますがキノベ山の山の頂上の古代の天照神の五角の古墳から、ここの段の塚穴を線で結びますと、東と西になりますね、神山の立岩神社と黒岩大権現を結びますと南と北になりまして正確なる十字架となります、矢と弓を意味します、またこの東西の線を伸ばすとイラン高原にいきます、偶然でしょうか。
追記、何故にイラン高原かといえば、中東に下りてきたか宗教とインドに下りてきました宗教は兄弟信仰なのです、中東にきましたのがゾロアスター教でして、インドに下りてきましたのがバラモン教ですから、この二つは兄弟宗教なのです、中東のゾロアスター教はのちに、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教に分派しましたから、分かりやすく言うなら分家みたいなものです、インドについてはまたの機会に記載します。
写真が普通にとれない。
撮った写真は薄い幕がかかったようでぼやけた感じ。
写真には映らなかったですが、オーブ(?)がイッパイ奥から流れてきました。
写真が普通にとれない。
撮った写真は薄い幕がかかったようでぼやけた感じ。
写真には映らなかったですが、オーブ(?)がイッパイ奥から流れてきました。
久しぶりに来たね。
小学生以来!40年ぶり。
子供のころと今では感じるものが違うな。
時の流れを感じる。
古墳の中、撮影したが靄がかかりお墓だけに………。
石室に入れる古墳はすくない中で、それが出来る。
徳島の緑石を使った石室は阿波らしさいっぱい。
羨道から奥は暗やみ。
その奥には、、、。
古代の空気が充満。
懐中電灯を持っていると楽しさ倍増。
直ぐ下を通る撫養街道から直接階段で開口部前に登ってくることもできますが駐車場が道路沿いには見あたりません。
迂回路は西側500 m位から右折するば駐車場にたどり着きます。
名前 |
段の塚穴 太鼓塚古墳 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0883-52-8011 |
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.mima.lg.jp/kankou/bunka/kunishitei/0001.html |
評価 |
3.9 |
外が雨であまりにも寒かったので、古墳内はあたたかく感じました。