名前 |
堀川陣屋跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
『十三原の七不思議』とは一体何か。
日本城郭大系6(新人物往来社)には、次のように記されている。
『伝説によると、後堀河天皇の第二皇子にあたる林阿宮吉仁親王が、京都吉田の侍僧快賀を伴い、この地まで来て、持仏の薬師如来を本尊として、仁治三年(一二四二)、川辺に新義真言宗智山派の吉田山薬師寺を創建し、この地に居館したことから、堀川の地と呼ばれるようになったといわれる。
親王領として、この周辺の堀川・蕪里・川辺・栢田の四村を領有していたが、千葉一族の野手殿の攻略によって敗れ、家臣と共に討死したという。
その家臣十三名が蕪里と川辺の境の十三塚の地に埋葬されたので、その名が残ったといわれる。
以前、十三基の石塔があったというが、今は見られない。
』十三原とは、恐らくこの家臣十三名に由来するようだが、七不思議の内容は分からない。
京都知恩院には、有名な七不思議があるが、この様な具現的なものではないのだろう。