八高線にトイレがまだあった頃便器の下に線路が見えた...
昭和20年8月24日の列車正面衝突事故はそのモニュメントと共に語り継がれていますが、この鉄橋には忘れ去られようとしているもう一つの事故の記録があります。
昭和22年7月14日、この年B-17に替わって配備された第三爆撃群のダグラスA-26攻撃機の一機が横田基地を離陸後エンジントラブルにより多摩川の河川敷に不時着しようとしました。
その時偶然この橋梁を通過中の貨物列車と接触、貨物列車の一両が河原に落下し四名が亡くなりました。
当時翌々日の朝日新聞四面で伝えられました。
この事故は20年の列車事故と比べ広く認知されていません。
また事故後の処置なども不明な点が多いです。
景色や化石探しに最良ですが、水の事故も起こっているので、お子様からは目を離さぬよう。
昭和20年8月24日 7時40分頃多摩川橋梁中央部において上り6列車(8850形8869号機牽引、客車5両編成)と下り3列車(8850形8853号機牽引、客車5両編成)が正面衝突し、多数の死傷者が出ました。
海まで流された者もいらっしゃるらしい。
事故車両の車輪が近くのくじら公園に保管しています。
また、昭和22年7月14日にはアメリカ軍横田基地所属のA-26攻撃機と八高線の貨物列車が衝突し、死者が4名も出るような事故も発生しています。
名前 |
八高線 多摩川橋梁 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
八高線にトイレがまだあった頃便器の下に線路が見えた すなわち垂れ流しである また終戦直後の列車事故で運が悪く台風で水嵩が増し荒れ狂う多摩川の流れに投げ出された乗客達長かった戦争が終わり破壊から再生へ向かう矢先の大事故 神の存在を疑うと共に犠牲になられた多数の方々の御冥福をお祈りします。