名前 |
島田伴完寺子屋 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.0 |
五代将軍・綱吉の側用人だった柳沢吉保が川越城主になった時に、雑木林だったこの地に目をつけ新田開発し、入植する農民が富める様にと、上富・中富・下富の名をつけたそうで、三つを合わせ、三富(さんとみ)と呼ばれている。
そのせいか、時代劇では悪役扱いの柳沢吉保は、ここでは名君になっている。
この寺子屋は、ここらへんの一般的な民家で、聞いた話では、別の場所から移築したらしい。
川越街道が国道254と重なってしまったのに対し、ここは往時の面影を色濃く残しており、開拓地は江戸時代から変わっていないそうだ。
ここは三芳町だが、川越の芋の名産地で、季節になると川越芋の幟があちこちで見られるようになる。