勝瑞城と合わせて勝瑞城館跡といいます。
館跡自体は広場、と言った感じです。
ただ、もう1つのスタンプ設置場所である武田石油さんの勝瑞城御城印は購入する価値ありです。
藍染めの和紙に金泥の墨書で、1つ1つ少しずつ違います。
武田石油の方も丁寧に説明して下さいました。
国指定史跡でもある藍住町・勝瑞城館跡をPRするために、今年4月にお目見えしたのは御朱印ならぬ“御城印”。
お城巡りの記念品として全国をめぐり集める収集家もいる御城印。
勝瑞城の魅力を発信する団体「勝瑞城みらいへつなげ隊」が考案した御城印は、町内在住の染織家・米谷さんが藍で染めた和紙に町内で生まれ育った書家・原葉香さんが金色の文字で1枚ずつしたためていて、まさにメイドイン藍住町!ここにしかない逸品を求めて、年配の人から若い女性が訪れているそうです。
室町時代、この地で栄華を誇った細川氏と、後に台頭した三好氏が拠点とした勝瑞城の縄張りにある屋敷跡。
阿波のみならず、畿内にも勢力を広げ、幕府にも多大な影響を与えていた大名の屋敷だけあって広大な敷地です。
発掘調査で屋敷や庭園跡が出てるようですが、保護の為、調査後は埋め戻されており、見た目は広い公園になってますw復元されるのも検討されているようですが、まだ先のようです。
細川家、三好家の広大な館跡がうかがえます(^^)。
戦国期前、細川氏、三好氏の時代の中世城館跡です。
発掘調査が進んでいけば、一乗谷クラスの遺跡になる可能性有。
かなりひろーい館跡。
まだまだ整備途上って感じ。
建物の礎石、お濠、土塁、枯山水庭園などが再現されている途上でありまだまだ今後発展しそうな感じがする。
が、再現ばかりなんで城跡として魅力的なエリアかと言えばいやはやYesでもありNoでもある。
強烈に城跡ファン、ないしはマニアを納得させる材料が見出せない城跡と言えよう。
あと、駐車場がよくわからなかった。
この辺りも城跡探訪者にわかりやすい表示などなど配慮してもらえたら嬉しいね。
道路を挟んである勝瑞城跡とセットでの訪問がよかろう。
今はだだっ広い広場の中にちょこちょこ見るところがあるだけで大して面白みはないですが、整備が完了した時にはどうなるのでしょうかね。
気長に待ってます。
何もないです。
本当に何もないです。
何もなくなった広大な空き地で、かつての細川・三好の栄華に思いを巡らせ、感慨にふける。
そんな場所です。
勝瑞館は三好氏の居館跡と推定されており、大規模な濠で区画された複数の曲輪からなる城館であったと考えられています。
土塁を持たない勝瑞館では、池泉庭園と枯山水庭園が確認され、三好氏の優雅な生活が垣間見られます。
現在は発掘調査を元に遺構の復元が進んでいます。
5月後半の祭りは最高のみ。
史跡指定された城館跡、勝瑞城と合わせて勝瑞城館跡といいます。
特に館跡は、ここにあった事業所が撤退したあと発掘調査され、堀の半復元や礎石建物の復元がされた史跡公園としてさらに整備が進められています。
徒歩圏内に城跡もあります。
発掘中ですが案内もしていただけます。
やたら広い!一般的な、遺跡の発掘風景で地味。
少数の工事関係者以外、人の気配が無い。
本丸跡は、ローソンの北のお堀に囲まれた見性寺がある場所です。
そちらには説明書きの石碑や三好氏の墓があります。
三好氏の前の城主である細川氏の墓は、さらに北の方にある一般墓地の北隅に祀られています。
勝瑞城跡の南西部に位置する館跡、広大な土地に現在は復元された堀や会所跡などがある。
現在も発掘調査がされているので今後が楽しみでもある。
続日本100名城にも選ばれている。
名前 |
勝瑞城館跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.7 |
細川家→三好家。
改修は三好義賢(実休)鬼十河と言われる十河一存の出生地の勝瑞城(しょうずいじょう)蜂須賀家が徳島に来て徳島城を築く前は勝瑞城が主な城でした。