庄田城(船越館とも)がいつ築城されたのかは不明である。
また船越氏が倭文の地に定着したのも明らかではない。
文和二年(正平八、1353)に南朝方が挙兵し、守護の細川氏春と円鏡寺原で合戦となった。
その際に船越定春・秀定が細川方について大いに戦果をあげているのでそれ以前か。
淡路守護細川尚春が三好之長に攻め滅ぼされた永正十六年(1519)後には、淡路は三好氏の勢力下となったが、この頃には倭文の領主藤原氏を滅ぼして船越氏が庄田の地に居館を構えたものと考えられている。
天正九年(1581)の羽柴秀吉による淡路攻めの時には、いち早く秀吉方についた船越景直が直参として活躍している。
賎ヶ岳の合戦にも参加した景直は、河内にも知行を与えられるほどであった。
さらには天正十二年には明石にも知行地を与えられ、淡路の本領を失うこととなった。
名前 |
庄田城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.5 |
畑の形状からお堀だったことがわかる。
「橋を渡ると、そこは…。
」