名前 |
福原要害城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
那須十氏福原氏の築城と考えられ、福原北岡館の支城として利用された。
江戸時代初期、那須資晴の子資景(再興那須家初代)が修復して居城とした。
福原城主は資景の子資重と続いたが、資重には嗣子がなく、増山弾正正利の弟権之助か城主となり、那須資祇と名乗った。
後に、資祇の烏山城移住により廃城となった。