普段はほとんど人もいなくて静かな神社ですがお祭りは...
天喜四年(1056年)鎮守府将軍源頼義とその子八幡太郎義家とが奥州の阿部一族征討に向かう途中、この地で賊と戦い多いに苦戦を強いられたそう。
その時に頼義は西に向かって神を拝み旗幟を建て、士気を鼓舞して戦いついに潰滅させたそうです。
頼義は奥州平定の後、この地に社祠を奉ったのがこの神社の由来。
旗を建てかけた所に松の大木があったことから「旗掛の松」として村人によって代々植え継がれてきた古い松が現在でも入口に健在です。
このあたりに多い源義家伝説をもつ神社。
神職が常駐しない神社であるが、祭礼の時には、六月囃子の上演が境内の神楽殿で行われる。
また、区の保存樹などもあり、おちついた感じの古社である。
隣の炎天寺は江戸時代の当神社の別当寺であり、併せて参拝したい。
隣のお寺へ祖父母の墓参りで来ました。
隣り合わせでこちらの神社がありましたのでご挨拶させて頂きました。
2022.1.23.参拝竹塚神社から徒歩で移動。
島根鷲神社の兼務社、2社目。
黒松がいたる所に植えられているのも珍しい。
隣に立つ建物は寺院。
神社とお寺が並んで建つのは珍しくは無いが、此処でもお寺の方が景気が良さそう。
境内は綺麗にされていて、松葉の緑色と黒松の樹皮の色合い、社殿の枯れた古美的な色味が独特な雰囲気のある八幡様。
お参りして、栗原氷川神社へ。
炎天寺と隣り合う古い歴史を持つ神社です。
癒やされる空間です。
氏神さまだから。
炎天寺と併設している神社です。
常時無人のですが、よく掃き清められた心落ち着く神社様でした。
管理社の宮司様に読み方をお聞きしたところ六月(ろくがつ)八幡神社との事。
御朱印は鷲神社様にて戴きました。
街の中に溶け込んだ、神社です。
それほど大きくはありませんが、氏子等による、お祭りもあります。
普段はほとんど人もいなくて静かな神社ですがお祭りは盛大に行われます。
2019年3月10日(日)am9:20に訪れました。
こじんまりした境内を鳥居から真っ直ぐに歩み入り正面の小社な本殿にて参拝。
ふと、見れば隣に境界の壁もなく御寺が横並びに建っていて首を傾げる。
(御朱印は島根鷲神社にていただけます)
炎天寺に隣接された神社。
由来は炎天寺側に詳しく記されています。
平安時代の末期(次は鎌倉時代)、藤原氏に下知されて、源頼義がこの地で野武士との戦いを行った。
苦戦をしたが、1.炎天下の6月(現在の8月上旬)に戦いを制した。
2.京都の八幡宮に必勝祈願をしたら勝った。
(鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮という説もある)以上から、足立区六月の地域に、炎天寺と六月八幡神社が出来たそうです。
明治3年(1870)正月吉日建立と銘打たれたこぶりの狛犬が鎮座している。
幕末の混乱が明けた3年後の正月に設置されているということは明治維新後にすぐ製造をし始めていたということだろう。
新政府となって国家神道を提唱するなかで、祝いを込めて取り付けられたかもしれない。
作風はまだ江戸時代の江戸流れ(狛犬の尻尾が流線型をなす。
江戸時代の特徴)をくんでいる。
左側の狛犬像は吽形(うんぎょう)で口を閉じている狛犬。
頭頂部にへこみが出来ているのは、できた当初は角があったからだろうと推測する。
長い年月で折れてしまって、そのあとが付いたんだろう。
右の獅子の阿形(あぎょう)には、もともと角がないので凹みもない。
因みに、阿形は子供が生まれるときを表し、口が空いている。
「生」。
逆の吽形は口が閉じており、死を表す。
ただしくは生・阿形が東側に設置され、阿形は陽が沈む西側に設置されるらしい。
ここの狛犬像は、南北に据え置かれているのでその限りではない。
拝殿の屋根には、「構え獅子」型の狛犬がすえつけられている。
屋根につけられるのはとても珍しく、関東では見かけたことがない。
いつ、どのような理由で付けられたのかは大変気になるところでした。
見た感じ、昭和・平成年代につけたような真新しさなのでただの装飾だろうとは思われます。
東に位置する、松もまた見事です。
由来版によると、「旗掛の松」というそうです。
「天喜四年(1056年)鎮守府将軍 源頼義とその息子、八幡太郎義家とともに勅(ちょく)を奉(ほう)じ奥州阿部一族討伐の途次この地に於いて賊と戦う。
時に陰暦六月(今の八月)にして炎熱灼くが如く官軍苦戦す、義家遥かに西望して神助を祷り(いのり)旗幟(きし)を建て士気を鼓舞し軍を整えて勇戦遂に之(賊)を壊滅す、依って旗を建てたところに檀を設け応神天皇を祀り凱歌を唄えという。
奥州閉廷の帰途この地に社祠(しゃし)を建立す、これ即ち六月八幡神社にしてその傍に寺を置き別当として土地の名を六月村、寺を幡勝山炎天寺とした。
古来云う伝うるところ この地周囲を望む小高い丘にして義家軍源氏の白幡(旗)を建て掛けたる松の大木ありという。
「旗掛の松」と伝承され歴史は移り変われども村人達によりその松の樹は植え継がれて今日に及んでいる。
」神社の由来板より。
1056年創建。
陰暦6月に八幡太郎義家が奥州平定の途中に野武士に襲われその際、八幡神に祈誓し撃退することができた。
その後、八幡社を創建し村名を六月に、そして別当寺を炎天寺と号したといわれます。
炎天寺は小林一茶ゆかりの地なので色々とありますが、当社はごく一般的な神社です。
御朱印有(島根鷲神社にて拝受)
名前 |
六月八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
03-3883-6140 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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六月八幡神社は、東京都足立区六月3丁目13-19に位置しています。
この神社は天喜年間(1053年~1058年)に創建されたとされています。
神社の主祭神は誉田別命(応神天皇)で、歴史的に重要な存在です。
六月八幡神社は、前九年の役出征の際、源頼義と義家父子が当地で賊に遭遇し苦戦したが、八幡神に勝利を祈願し、そのおかげで勝利を得たことから創建されました。
また、神社の隣に炎天寺が建立され、神社の別当寺となりました。
この歴史的背景から、現在でも神社と寺を分ける塀が途中で切れており、事実上の境内が一体化しています。
アクセスに関しては、東武鉄道伊勢崎線(スカイツリーライン)の竹ノ塚駅から徒歩約11分で到着することができます。