ご利益がありそうで毎年参拝しています。
189段の石段は『避厄』(ひやく)と『飛躍』(ひやく)に通じ、縁起をかつぐ参拝者は一段ずつ願いを籠めて登る。
境内は眺望に恵まれ、身も心も洗われる清々しい場所。
裏からは車で行ける。
神社からの眺めは最高。
草津まち歴史の散歩道o.06 草津八幡宮。
駐車場が拝殿近くにあり、足腰の弱った方にも便利、トイレもあり。
御手水は自動になっており、杓は撤去してありました。
おみくじを引く前にアルコールするようになっており、空気も清々しく、安心してお参りできます。
御朱印は神社のご都合で、運が良ければ頂けます。
今年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、来年の初詣は元日からの三が日は参拝に来る客も、多く来て、混雑も予想され、密になりやすいから、いつが参拝に来る適当な時期か教えてくれたら、ベストです。
宮司さんが丁寧に使い方とかを説明してくれました。
とても助かりました。
歴史があり地域に愛されている神社だと思います。
カーブの佐々岡真司監督も個人的に参拝することで有名ですよ。
近代化された神社がお好きな方にはお勧めしかねます。
瀬戸内を望む高台にある神社。
以前はきっと海岸線が神社に近かったのだろうが、海に向いて立つ神社からは海とともに生きる先人の思いも感じられる。
整備された駐車場とトイレがあるのがオススメするところでもある。
朝も良し夕方も良し。
階段を歩いて行くのが良い。
行者山中に鎮座する1420年を越える歴史を持つお宮。
なーがい階段をひいこらのぼるもよし。
自動車で上るもよし(駐車場あり)。
上から望む市街や海の眺めよし。
海の神様、宗像3女神のお一人、多紀理姫を594年にお祀りしたのがはじまり、はじまり。
多紀理姫(たぎりひめ)は厳島神社の主神(いちきしまひめ)と姉妹。
どちらが年上なのかは諸説あるが、恐らく乙女の秘密。
12世紀に大分の宇佐八幡宮から八幡さまを勧請。
八幡さまの息子は女の子にはめっぽう弱いが仁政と日本一の前方後円墳で有名な仁徳天皇のパパさん。
応神天皇の母君は身重ながら三韓征伐に出掛け戦わずして従わせたとの伝承があるゴッド姉さん神功皇后さま。
この宮の東北方向にある旭山神社は、三韓征伐途中に神功皇后さまが立ち寄られたそうで、献上品の鯉にたいそう悦ばれ「おお、鯉、鯉!」とおっしゃったので、かの地は己斐(こい)と呼ばれるようになったんじゃと。
めでたし、めでたし。
また、神功皇后さまは、ここ草津八幡宮の敷地を仮の皇居とし、草津港を軍港とし、三韓征伐のための軍事教練のため暫く滞在されたそうな。
広島は日清戦争のおり、7ヶ月程大本営が広島城に移転、明治天皇も御滞在され、臨時の首都となったが、1800年位前にも同じようなことがあったんじゃね。
歴史は繰り返されるのじゃ。
古来より八幡川を境に、西は井口から東は高須、庚午、さらに山田に至る、西地区における総氏神として、近隣の人々に信仰されてきました。
このことから、各町の氏神社や神社の「ご本社」として、また古い歴史を持つことから「元社」として、親しまれています。
主祭神の八幡の大神様は強運、幸運、除難の御神徳が高いことから、武神、勝運の神様として、さらには「厄除の八幡様」「病気平癒、勝運の八幡様」として崇められています。
また、宗像三女神も合わせてお祀りしている為、「安産(腹帯)祈願」で参拝される方も多いのが特徴です。
由緒古来、この草津、古江の地は深い入江であって天然の良港をなし、神武天皇、神功皇后の伝説を多く残している。
社伝によれば、推古天皇御宇(593-628)宮島の厳島神社とほぼ時を同じくして、この入江の奥に多紀理姫命を、海路の守護神として祀ったのが当神社の創祀という。
八幡神の奉斎の時期については、諸説があり定かではないが、十二世紀末、鎌倉幕府の命を受け武蔵国渋谷郷(現、東京都渋谷区)から当地に御家人として来住した社家始祖(右衛門大夫または右京大夫と伝える)が八幡神を勧請し、古くより当地に祀られていた「多紀理の宮」と合祀して八幡宮を創建、後に力箭八幡宮と称した。
また一説によると、宇佐八幡宮の社人、宇佐彦が土佐に赴き、七代目の渋谷右衛門大夫という者が当地に来り、宇佐八幡宮より金交石の御分霊を戴き、これを宇佐来山麓に勧請したとも伝えられ、安芸の国では最も古い八幡宮の一社といわれている。
往古、当社の崇敬範囲は己斐より廿日市に至る沿岸部一帯に及んでいたという。
昭和六年、近郷六箇村の氏子により境内地の造成と共に総ての社殿が再建造営された。
相殿神の宗像三女神の内、市寸島姫命と湍津姫命は明治二十五年厳島神社より御分霊を神馬にお乗せして盛大に勧請され、素盞嗚命、倉稲魂神、金刀比羅神は明治末期の神社統廃合の折、合祀されたものである。
なお古くは、社殿は海浜の近くにあったと伝えられるが、再建の度に高所へ遷され、現在では力箭山の中腹に鎮座している。
伝承神武東征の多紀理宮(「古事記」は多祁理宮とする)の伝説は当地にも残っており、神社西下より御幸川の間に仮皇居が在ったという伝承がある。
また、神功皇后の朝鮮出兵の折、この地で軍船の船揃えをし、弓矢(箭)の訓練をした事に因み「力箭山」と称し、草津の旧名を「軍津浦」(いくさつうら)というなどの伝承がある。
古代このあたりまで、深い入江であった。
草津の地名の起こりは、軍津浦輪(いくさつうらわ)すなわち軍船の寄港地であったことによる説と、宇佐の神が祭られでいた津、宇佐津などの説がある。
創建は古く、飛鳥時代の終わり、推古天皇の頃(625)に宇佐八幡宮を勧請したことによると伝えられ、中世には力箭山(りきやさん)八幡宮ともいわれた。
祭神には宗像三女神・八幡三神他三柱が祭られている。
旧暦八月十五日の氏神祭(今は、九月末の日曜日)には、三台の御輿がせり合い「草津かんか祭」として有名であった。
現在は保存会により、それが伝えられている。
広島電鉄草津駅から徒歩7分位ですが、途中の階段が少しきついです。
天気が良い日は宮島を始めする瀬戸内海に浮かぶ島々が見えます。
厄除け払いしてもらいました。
木板に書いた名前札を毎月月始めにもお祓い?祈祷?してくれるそうで、一年間安心して過ごせるようにしてくれます。
毎年おみくじをひきに行きます。
七福神と升や熊手のチャーム?が入っているおみくじです。
他も色んなおみくじがあります。
数年前山の中腹に駐車場ができて便利になりました。
神主さんがお祓いをしてくれ、巫女さんが舞ってくれたりと、ご利益がありそうで毎年参拝しています。
ここで振る舞われる甘酒もとても美味しい昔は、余り参拝者も少なくゆっくり参拝出来たのですが、年々参拝者も増え参拝するのも階段の途中まで、長蛇の列今年はおみくじの男の子が(2人)一人の子は真面目立ったまま、一生懸命されていたのですが、もう一人の男の子が座ったまま、ニヤニヤしながら小馬鹿にした感じでされていたのは今までこんな人はいなかったで、残念な気分になりました。
広島市民でありながら、初めての参拝でした。
高台におわすので、階段の昇りおりが大変だと思い込んでいたところ、ここのクチコミで拝殿近くまで車で行けることを知りました。
投稿者に感謝ですm(__)m ちなみに広島・廿日市の沿岸部にある古来よりの神社が高台にあるのは、宮島街道辺りまで海だったからで、低い埋め立て地からお参りするには階段の洗礼がマストとなるのです。
さて駐車台数は20台足らずで、お祭りや初詣にはとても対応できないでしょうがないよりはずっといい♪御朱印をお願いしたら帳面の提出を求められ、その場で書いていただきました。
丁寧な対応が嬉しかったです。
歴史ある神社です。
近くに昔、草津城があり軍港として栄えていました。
軍港の名は軍津(いくさつ)草津の地名はここからきているんですね。
2019年 11月参拝。
入りくんだ場所の 高台に鎮座する お社で、ナビを便りに 来てみました❗ ちょっと、分かりづらかったですね💦入り口の 坂が凄い❗ ゆっくり進むと、広い駐車場。
境内横まで 来れました🎵 真新しい、トイレもあり… 綺麗な 所でした🎵 参道の鳥居の 下は 階段💦 凄くあると思います💧 御朱印を 戴きに来ました❗ 社務所に、インターホンで 出て来て下さり…テントに お茶が あるので 良かったどうぞ…と、宮司さんも 気さくな 方でした🎵 ご馳走さま でした🎵高台なので、風も吹き 景色も良く…気持ちよく 参拝出来ました🎵また、いつか 来たいです🎵
草津駅より歩きで向かい、上に看板が出ており迷う事なくたどり着きました。
高台にあり見晴しのいい神社です。
境内は、それほど広くないものの立派な社殿でした。
社務所は無人で書置きが用意されておりました。
正月に行きますわ。
たまたま?運良く??、御朱印書いてもらいました、草津一望できて気持ちいい場所でした。
草津駅から近いですよ。
御朱印帳を持って行っても書いてもらえません。
既に書いてある紙が先方に用意してあるので、それを買う事になります。
神主さん達(親子でやってらっしゃいます)いらっしゃったので、直接書いて貰えないかとお願いしましたがダメでした。
なぜなんでしょうね。
残念です。
草津駅から近く、階段を登ってすぐに神社です🎵朝日が綺麗に見えます🎵
名前 |
草津八幡宮 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
082-271-0441 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
189段の石段は「ひやく」と読めるため、飛躍や避厄に通じるため、縁起が良いそうです。
地元では「厄除けの八幡様」と呼ばれているみたいです。
境内からの景色も良くて何か御利益あるかなあ。