名前 |
照日神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.9 |
有崎城を築城した『石田左近尉三藤』は戦乱の世を憂い文明年間(1469年~1485年)11月3日に照日神社を創建した。
呉市史( 大正13年呉市役所刊) によると照日神社は、祭神:稚日売神、相殿:興津日子神、興津日売神を祭っているとのことである。
『稚日売神(わかひめのかみ)』は、別名『丹生都比売尊』と言いスサノヲの妻で後に大国主命を生み、若くして没したと言われ”美の神様”です。
また『興津日子神、興津日売神』は日常の食べ物を煮炊きし、命をつなぐ大事な竈(カマド)を司る神様です。
しかしながら、照日神社の棟札(寺社など建物の建築・修築の記録・記念として、建物内部の高所に取り付けた札)には「屋船旬々乃命 手置帆眉命 国狭槌命 屋船豊受姫命 産狭知命 水波女命」とあります。
また不思議なことに、照日神社御紋章は厳島神社の家紋【二重杣甲花菱三つ重】とよく似ており何らかの関係があったのではと思われます。
参考までに石田三章 8代目『石田左近尉三藤』の長男『石田兵左衛門光庸』(9代目)は戦乱の世を嘆き1572年6月末日に石田明神を拡充したとされる。
大きさは110m四方(約3700坪)あり、藤蔦がまとい茂っており、春はとてもきれいで「藤ノ森」とも呼ばれていた とあります。
また神事も厳重に行われていたそうです。
そして8代目『石田左近尉三藤』の次男『石田佐近由明』もまた1530年、平安を願い、亀山神社に16石の田畑を寄進した と言われる。
現在、この場所は呉市立港町小学校になっている。