名前 |
寺内正毅墓所 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
病死したのは大磯ですが、彼の遺骨は列車で運ばれ、墓は故郷に造営しました。
彼の用いた雅号「桜圃(おうほ)」が、幼少期を過ごした宮野の「桜畠村」に由来することはよく知られていて、長じても故郷の恩を忘れなかったという人柄を偲ばせますね。
墓地のロケーションは、42連隊の北東に位置します。
ここに造営されたのは、鬼門を守るということが含意されていたのかなぁ。
(下の写真は「山口史蹟図」部分、1936年、地図昭和11-6/防長先賢肖像絵はがき 寺内正毅(雨村家299(9-8) /防長先賢肖像婦人之部絵はがき 寺内正毅母猛子(雨村家299-1(10-7)、いずれも山口県文書館蔵)