名前 |
二蕉庵紫香句碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
▼ 本名は鎌田三伯。
熊本県飽託郡出身の智将でした。
▼ 一説によると、彼は江戸の幕臣で、隠密として山口に潜入していたと伝えられます。
けれども山口が気に入って、そのまま山口に住み着いたんだとさ。
自由かよ!俳句に目覚めたのは維新後、横浜在住の頃。
山口県に移り住んでからは、「防長新聞」に入社して俳句の撰者となったこともあるとか。
居所はここ宮野で、近隣の青年に俳句を教えたそうです。
▼ そばに立つ解説板は、実は少し説明不足で、「朽ば哉」と釈文されていますが、碑をよく見ると「朽は可南」とあります(「者」は「は」と読みます)。
また、署名は「二セ越(にせお)」と記しているようです。
ここは、松尾芭蕉が「はせお」と署名したことを明らかに意識していることが伝わり、なんかカワイイっス!(『山口市史 各説篇』(1971)p.631f/『やまぐち郷土読本』山口市教育委員会(1988)p.94を参考に記す)