地元の伝説では、第42代文武天皇の御代、この地の朝頭妻(あさづま)氏の娘玉清姫が天智天皇の第3皇子施基王(または文武天皇)に見初められて王妃となり、産んだ皇子は聖武天皇として即位した。
玉清姫が両親の菩提を弔うため、故郷に夕陽山朝頭妻寺を建立した。
玉清姫の死後、勅命により行基がこの寺に千手観音像を作ってまつり、七堂伽藍を整えたのが清見寺の始まりという。
正史では聖武天皇は、文武天皇の第1皇子で母は藤原不比等の娘・宮子。
志貴皇子(施基皇子)は、天智天皇第7皇子で、息子の白壁王は第49代光仁天皇として即位。
光仁天皇の母は、紀橡姫(きのとちひめ)で、征越後蝦夷副将軍紀諸人の娘。
名前 |
玉簾山 清見寺 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.0 |
地元の伝説では、第42代文武天皇の御代、この地の朝頭妻(あさづま)氏の娘玉清姫が天智天皇の第3皇子施基王(または文武天皇)に見初められて王妃となり、産んだ皇子は聖武天皇として即位した。
玉清姫が両親の菩提を弔うため、故郷に夕陽山朝頭妻寺を建立した。
玉清姫の死後、勅命により行基がこの寺に千手観音像を作ってまつり、七堂伽藍を整えたのが清見寺の始まりという。
正史では聖武天皇は、文武天皇の第1皇子で母は藤原不比等の娘・宮子。
志貴皇子(施基皇子)は、天智天皇第7皇子で、息子の白壁王は第49代光仁天皇として即位。
光仁天皇の母は、紀橡姫(きのとちひめ)で、征越後蝦夷副将軍紀諸人の娘。