干拓や製塩を指導し松永町周辺の発展に尽力した武士の...
昭和18年(1943年)3月26日県指定史跡に指定されました。
福山市ホームページによると。
本荘重政は福山藩主水野氏に仕えた。
本荘重昭の嫡子(ちゃくし)として生まれたが、家督を弟重幸に譲り、江戸に出て兵法を修業し、島原の乱の際に戦功をたてた。
半生の放浪を終え、岡山藩主池田光政に仕えた後、福山藩に帰った彼は、当初、高須(尾道市)に居を構え、新田開発・干拓や塩業の発展に努力し、延宝4年(1676)70歳で松永に没した。
明歴2年(1656年)に柳津新涯を、翌年には深津郡各地の新田を万治2年(1660年)から松永干拓に着手し、寛文7年(1667年)まで塩浜とし、松永塩田の基礎を作った。
死後、自ら福山から移した本荘家の菩提寺承天寺に葬られた。
松永を臨む承天寺(じょうてんじ)墓地の一角にある。
名前 |
本荘重政公墓所 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
関連サイト |
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/soshiki/bunka/64151.html |
評価 |
4.3 |
江戸時代初期に福山藩水野家に仕え、干拓や製塩を指導し松永町周辺の発展に尽力した武士の墓で広島県重要文化財に指定されています承天寺墓地の土塀に囲まれた場所が本荘家墓所で向かって右端が重政の墓です。