名前 |
鳥居信平像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
説明書よりーーー鳥居信平氏略歷一八八三年 (明治十六年)静岡県周智郡上山梨村(現袋井市)に生まれる静岡中学卒業一九〇四年 (明治三十七年)金沢旧制第四高等学校卒業一九〇八年 (明治四十一年)東京帝国大学農科大学(現東大)卒業農商務省に入省一九十四年 (大正三年)台湾製糖(株)に就職一九二一年 (大正十年)台湾屏東県に地下ダム着工一九二三年(大正十二年)地下ダム完成「二峰圳」一九三六年(昭和十一年)日本農学賞受賞一九四六年(昭和二十一年)御逝去、享年六十三歳「二峰圳」地下ダムの功績台湾南部の屏東地域は、毎年、台風、洪水、干ばつ取水等自然環境が厳しく、農作物尼多大な被害が出ていました。
安定した農業を経営するためには土地改良や灌溉用水等の改善ガ必要とされていました。
鳥居信平氏は、一九一四年(大正三年)台湾へ渡り、屏東平原の調査を行ない、綿密な計画のもとに大規模土地改良と濯漑 用水施設、地下ダム「二峰圳」を建設しました。
着工は、一九二一年(大正十年)、一九二三年(大正十二年)完成。
灌漑用水施設は、伏流水を地下でせき止めダムを作り、このダムの水は原野を開墾した二五〇〇ヘクタールに及ぶ農場に、豊水期には一日二十五万トン、乾期でも七万トンの農業用水を供給し、広大な農地を潤しました。
この様な斬新な大規模地下ダムは例が少なく、自然や風景、生態系、環境に配慮され、地域のニ十万人をこえる人々の生活向上に大きく貢献し、また飲料水としても大いに役立っています。
その後、台湾行政院により、この二峰圳の集水廊道は文化遺産に登録されました。
二〇〇九年(平成二十一年)四月、台湾奇美文化基金会、許文龍会長より、鳥居信平氏の胸像が袋井市に寄贈されました。
二〇一二年十二月 山梨三育会。