名前 |
南谷豊蔵坊跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
江戸に幕府を開いた徳川家康が早くから祈願所とし、徳川将軍家の坊として江戸時代もっとも栄え、文久3年(1863)に孝明天皇が攘夷祈願を行った場所としても有名です。
石高は男山四十八坊といわれた坊のなか随一でした。
正法寺の開祖である志水家の娘で、家康の側室となったお亀の方(相応院)のおかげで、江戸幕府の手厚い保護があったともいわれています。
お亀の方の子は初代尾張藩主となり、母の菩提寺である正法寺を厚く庇護しました。
豊蔵坊(ほうぞうぼう)は、江戸幕府が直接修理や築造を行ったので、詳しい絵図が複数現存しています。
客殿や庭を備え、湯殿が2ケ所、蔵が3棟あり、敷地全体に所狭しと建てられていました。
明治初めに建物は全て取り除かれましたが、豊蔵坊にあった徳川家康の像(東照神君像)は、京都市の等持院に移され現存しています。