と頭の中でイメージする場所。
昔あった施設を想像する楽しみがありますね。
今は一帯に何もないのに、昔はすごい施設があったなんて、なにがあったのかとか、歴史のロマンを感じられるかも。
もう少し厳かに展示してあるのかと思っていたら、普通の公園みたいでした。
田んぼの真ん中に現れます。
ちょっと一息,お散歩に最適です。
駐車場やトイレもあるので便利です。
20210609 気温は30度を上回る陽射しの強い午後です。
(因幡国庁跡)周辺の水田は田植えが済み水面に陽光が照り輝きます。
車両が三台、駐車。
一人の方は東屋でガイドブックを広げてメモを加えています。
別の方は南門付近のベンチに腰を下ろし上半身は裸で、日光浴をしながら本のページをめくり読書を楽しんでいます。
ひょっとして風景をスケッチしているのかも?、ふとこの様子から連想は、万葉の頃の国庁勤務の役人達が暑い日には扉を開け簾を上げ、略式の服、衣冠束帯(いかんそくたい)で涼をとりながら執務をしていたのかな?との思いです。
この地は悠久の時が流れています。
思い起こせば今年は因幡国守大伴家持が(万葉集)の中に新年を寿ぐ和歌を歌った西暦759年から数えて1262年目にあたります。
甑山(こしきやま)の正面延長先に面影山(おもかげやま)と大路山(おおろやま)、今木山(いまきやま)の斜め延長先に稲葉山(いなばやま)があります。
これらの山々に囲まれた風光明媚な地に、丁度、東西南北を対角線で結んだ交差点上に国庁の跡があります。
建物を支えていた柱の位置を示した遺跡が主なもの。
余計なものはありませんが、それがかえって幸いして、うんと想像力が刺激され、天平時代へタイムスリップすることができるパワースポット、大好きです。
因幡三山の位置をみて当時を脳内タイムトリップ。
綺麗に整備されており、国府跡でこれだけきちんと整備されているところは珍しい。
古い遺跡の跡とは言っても、国丁が再現されているわけでもなく、これといって楽しめるものもなく、単なる空き地。
また誰か変な所にポインターを移動させていたので修正申請しておいた。
この場所のように安易に間違った場所に変更されたりする一方で、長崎の出島のように頑なに場所の修正に応じないこともあったりで、グーグルマップの運営というところは不可解な魔宮ですなあ。
特に無いです歴史の好きな人向きです。
非常に綺麗の整備されています。
駐車場、トイレあり。
公園のようになっており、屋根付きの休憩所もあります。
面影山因幡万葉歴史館で自転車を借りてうかがいました。
南門から脇殿・正殿・後殿とオーソドックスな国庁ですが、周囲が開けていて家持も見たであろう因幡三山(甑山・今木山・面影山)の眺めがそのままに残っています。
わが背子が 面影山の さかゐまに われのみ恋いて 見ぬはねたしも古今和歌六帖に収められた、(家持の義母)大伴坂上郎女が因幡の家持に贈ったとされる歌ですが、この時既に歌を棄てていたとも言われる家持がこの歌を受け返歌を贈ったのか、贈らなかったのか。
贈ったとすればどんな歌だろう。
苦難の中にあって清洌な歌を詠み続けた家持のこと、この景色の美しさが返歌そのものなんだろうなと、ノミほどの歌才もない自分では想像もつかないからそういう事にしておきましょう。
歴史好きにはおすすめ。
興味がない人にはただの公園でしかない。
万葉集最後の句 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事は、因幡国国守であった大伴家持が天平宝字三年(759年)にこの地で国郡司らをもてなした後に詠んだ歌だと言われています。
近くには、大伴家持の歌碑もあります。
中世の因幡国(いなばのくに、鳥取県東部)の政庁跡です。
田んぼの中にあり、周囲の因幡の山々を見晴らせる場所にあります。
大伴家持が万葉集の最後の句を詠んだのも、ここに出仕していた頃とか。
歴史好きには興味深い土地です。
結構、広いです。
広場は、千人、二千人平気で入りそうです。
建物跡も大きいです。
国家権力の象徴だったのでしょうね。
発掘前は田んぼだったのでしょうか?
昔の国庁跡。
今は田んぼしかないのどかな風景が広がっている。
駐車場に休憩所があるが、夏の暑い時の散策は熱中症に注意が必要。
名前 |
因幡国庁跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1096973059375/index.html |
評価 |
3.8 |
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今は見渡す限りの田園風景が広がるこの地にかつては国庁があったらしい、と頭の中でイメージする場所。
周りの史跡や歴史館と合わせて巡るのが良いと思います。