名前 |
因幡国分寺 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.2 |
「因幡国分寺」は聖武天皇の方針に基づいてこの地に建立され、合わせて国府町内の別の地に「因幡国国分尼寺」が建立されました。
🥁その別の地は隣の法花寺(以前の地名は法華寺)に「国分尼寺」があったのでは?と言い伝えられていますが、はっきりと分かりません。
国分寺は戦国期の争乱にて炎上消失の憂き目に会いました。
再興は江戸時代、延宝2年(1674年)興禅寺(黄檗宗)の活禅和尚によりなされたそうです。
それから明治29年に地区の方々によって現在の「黄檗宗最勝山国分寺」となりました。
境内の片隅には大きなゴツゴツした礎石が10個前後ごろっと無造作に置かれています。
少なくとも1278年は生き続けてきました。
これからもこの格好で行くんですね😃、ご苦労様‼️。
😄「国分尼寺」の礎石は江戸時代に村の法花寺の大庄屋福田彦左衛門が自分の畑地で掘り起こしたということです。
この掘り起こされたという礎石は尼寺の礎石に間違いはありませんが、掘り起こされた場所が特定出来ないので「国分尼寺」の場所は今もって謎です。
😃礎石は法花寺の村中にあります。