地元では「謎の石堂(いしどう)」と呼ばれています。
石段を5分ぐらい歩くと着きますが、雨降り時には石段滑ります。
こちらの石碑を見た時に、「好太王碑」を思い出しました。
功績を後世に残す思いを・・・
建築者・建築年代・建築目的とも不明のため、地元では「謎の石堂(いしどう)」と呼ばれています。
岡益の石堂は岡益集落にある長通寺という寺の背後の小高い丘にあります。
古墳の切石のような巨石を用いた巨大な石塔で、山陰地方最古の建造物と考えられています。
石堂は一辺6.6m、高さ1mの基壇の上に、厚さ40cmの一枚岩でできた壁石6枚で側面を囲んでいます。
さらに中央に高さ2m近くの心柱を立て、その上に四角形の中台石を載せ、さらに塔の笠石を重ねています。
基壇や壁石は凝灰岩の精巧な切石です。
心柱はふくらみをもったエンタシスで、中台石の裏側には忍冬(にんどう)渦巻蓮弁放射文様が刻まれています。
このような石造物は日本には例がないですが、法隆寺の柱が、このエンタシスによって作られていることが知られています。
また、法隆寺の壁画にも、忍冬渦巻蓮弁放射文様が描かれています。
岡益廃寺の施設とみられる一方安徳天皇の墓とする説もあり、明治29年(1896)に安徳天皇御陵参考地に指定され宮内庁が管理しているため整備は十分整っています。
御陵とするには、かなり難しいので参考地としていると思われます。
駐車スペースもあるので見学はしやすいです。
左手の石階段は濡れていると滑りやすいので、右手の道を廻ると良いと思います。
時間はさほどかかりません。
ただし、クモの巣が張っているので注意。
石堂の大きさをぜひ現地で体感してください。
因幡万葉歴史館にレプリカが展示されています。
合わせての参観をお勧めします。
バレーボールコートくらいの芝生があり隣接する駐車場には手荒い場や、公衆トイレ(和式、男トイレ女トイレ別)もあり、のんびり過ごせれます。
🅿️もトイレも完備。
不思議です。
何か歴史から消されたのか、どうやって作ったのか?
本当になにもないからね!
「岡益の石堂」はこの同じ場所から掘り出された瓦や遺構から7世紀から8世紀初頭の白鳳期に創建された(岡益廃寺跡)の遺跡の主要な一部です。
石堂は四方6メートル、高さ1メートル位の土台に据えられています。
正面に出入口があり、周囲は厚い壁石に覆われて、その部屋の中央に高さ2メートル位の真ん中あたりがふくらみを帯び、ていねいに加工された円柱が建っています。
その円柱の上には天井石が乗っており、この天上石に模様(蓮花弁と忍冬文化)が浮き彫りにされているとの事ですが、これはここからでは見えません。
「岡益の石堂」の裏は林になっていますが、ここには石像や五輪塔、基石などが散見されました。
ここにも当時この地で生活を営んでいた人々の息吹を感じます。
いい時間が流れました。
少し腰を下ろし休んでいると、下の駐車場からここまでは小高い山の上ですから、いく段かの石段を上ってくる必要がありますから、上がってこられる方の声が聞こえています。
(あぁ~しんどい、やれやれここよぉ~)とご婦人が後から来ているご主人に話しています。
今日ここで出合った最初で最後のご両人です。
お邪魔にならないように静かに立ち去りました。
1本の柱を、風化させないように、大事に大事に囲っています。
何とも奇怪な石造物。
それにしても安徳天皇陵墓(参考地)って、ブットンデル! 参考地になってしまったために発掘もできないんだろうね。
この3m程度の石塔、誰がいつ何の目的で建造したのか正式には全く分かっていない不思議な物体。
少なくとも日本には同様のものは存在しないようです。
石塔の後には廃寺跡があったので、そのお寺が無くなった時に記録も散逸してしまったのでしょう。
近年は、壇ノ浦の戦いで入水された安徳天皇のお墓だと言う説を元に宮内庁が管轄しています。
これまで長きにわたって野ざらしだったのに、急に宮内庁が管轄するというのも何か裏がありそう。
いや、何もわかりませんけどね。
お墓に屋根は良くないらしいですが、それはいいのでしょうか?(;^_^宮内庁管轄になったおかげで、石堂の周りに柵と屋根ができて間近での観察はできなくなりました。
レプリカは因幡万葉歴史館にありますのでそれを確認したところ、石堂の上下にハスや唐草模様が刻まれており、それは遠くギリシャに起源を持つ様式だそうです。
こんなところまで渡来人が来たのでしょうか?というぐらい今は田舎なんですが(失礼)。
因幡万葉歴史館にレプリカがあったので実物を見に行った。
実見して最初は古墳の石室の遺存かと思ったが違うようだ。
安徳天皇の陵墓参考地となっているがこれは明治の頃、下の寺の坊主がしつこく何度も申請したのが通ったらしい。
明治は仏教にとっては縮小の時代だったので生き残りの為に各地でいろんな試みがあったがその一つといえる。
ただし陵墓指定地になると通常は保護され、見物しにくくなる代わりに後世に残るのだが、ここは整地のために周りを掘り下げてしまい、手がかりをなくしてしまった。
ここに中世まで寺があり、その施設の一つと推定されるがよくわからない。
江戸時代までは石室状の中の石柱の周りにもう一つ石の囲いがあったらしい。
大陸に残されている石造物を精査すればあるいは似たようなものがでてくるかもしれない。
日本では珍しいもので貴重。
古事記の時代から続いている、日本の成り立ちが保存されている凄い遺跡です。
宮内庁管轄みたいです。
何だかわからないが珍しいもののようです古代のろまんを感じる。
下関に沈んだとされている安徳天皇が葬られているとされる。
以前訪ねた時は、石堂は野ざらしだったが今は、きちんと覆いがされていて見にくくなってしまった。
名前 |
岡益の石堂 安徳天皇宇倍野陵墓参考地 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1096973281140/index.html |
評価 |
3.6 |
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福井県の小浜市(鯖街道)京都府の京丹後市 竹野川や大手川に川上谷川兵庫県の円山川など大陸との繋がりを感じますが鳥取県の袋川支流にも同じ雰囲気を感じながら撮影してました。