「月読命」を祀る元伊勢ゆかりの神社です。
丹後国加佐郡の式内社の1つです駐車場は無いようでした今は小さな神社です右手の境内社のとこにある階段を登ると忠魂碑に行きます。
笑原神社(やはらじんじゃ)は京都府舞鶴市の南部。
京都府舞鶴市紺屋の西舞鶴の愛宕山の東山麓に鎮座する神社。
ご祭神天照皇大神豊受姫神月夜見神社格式内社伊勢神宮の前身の元伊勢の一つと言う説もあるようです。
「案内板」笶原神社天平勝宝元年頃に創設されたと伝えられる古社。
祭神は、天照皇大神、豊受姫神、月夜見神。
合殿に清和天皇、宇多天皇が祀ってあり、かつては魚居社(まないのやしろ)とも呼ばれ、古代海部(あまべ)や、凡海連(おおしあまのむらじ)に関わりをもつ。
(2021/2/11撮影)
古代の丹後における重要な祭祀の場所であるらしいが、現状は小さな神社というしかない。
いまの本殿はもともと拝殿であって本殿はこの上の忠魂碑のさらに奥にあったらしいが、いまは御神体をこちらの拝殿に移しているという。
ずっと以前に忠魂碑の奥までいってみたが、本殿はなくなっていて跡地らしき平地があるだけだった。
歴史ある神社。
丹後一ノ宮籠神社と福知山市天照玉命神社とは兄弟神社とされますが、本当は笶原神社の方が歴史あるのでは。
元伊勢「坦波国 吉佐宮」の候補地のひとつです。
この神社は「笑原」ではなく、「笶原」です。
(エハラ ではなく ヤハラ です)
名前 |
笶原神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
加佐郡舞鶴町紺屋笶原神社(ヤハラ神社・ヤブ神社)は、「月読命」を祀る元伊勢ゆかりの神社です。
※「笑」ではなく「笶(や)」です。
西舞鶴で一番有名な神社“朝代神社”や“桂林寺(天香山)”の敷地続きにある神社で、地元では“神明さん”と呼んでいます。
舞鶴・宮津天橋立・伊根の沖合いに浮かぶ丹後の聖地“常世の国”「冠島(かんむりじま)」から淡路島の「石の寝屋古墳(海人族の首長)」までのツキヨミ系神社を結ぶレイラインの一つとなる神社。
ツキヨミ系としては、伊根・宇良神社(浦島神社)や、綾部・山家城址公園の伊也神社、福知山・三和で日本古来の産屋「山幸彦海幸彦伝承」が残る大原神社、丹波篠山・弓月神社、神戸・多聞六神社、舞子・六神社があり、いずれも「月読命」を祀っています。
「月読命」は、浦島太郎伝説が残る伊根・宇良神社(浦島神社)の浦島子の後裔(こうえい)氏族である日下部氏の祖神。
国宝の「海部氏系図」によれば、笶原神社の祝部の祖は丹波国造海部直愛志の児の海部直千成。
宮津・元伊勢籠神社と同じく海部氏が宮司を務めており、兄弟神社。
系統の変遷で中世以降は坂根氏と姓を替えて、以後54世に亘り、東舞鶴のツキヨミ系神社である白糸浜神社と共に神事を務められています。
笶原神社の相殿は「マナイの社」。
鳥居にも「総代ヤハラ・マナイ・ヨサ宮」。
西舞鶴にはマナイ通り(ショッピング街)やマナイの清水があり、“マナイ”にゆかりがあります。
(なお、宮津・元伊勢籠神社の外宮もマナイ神社であり、大江・元伊勢 天岩戸(宮川・五十鈴川)付近にもマナイの池があるので、同系統だとわかります)笶原神社の敷地隣には“天香山 桂林寺”があります。
関連がある伝承としては、天道姫命と天香語山命の弓矢の話があり、矢を留める場所は必ず清き地とされ、天香語山命が放った矢は矢原山に至り、根が生え枝葉青々となり、この地は“矢原(矢原訓屋布→矢原・紺屋(こんや))”と言われるようになり、泥地は、霊泉“マナイ”が涌き出たことにより墾田“田造”ができるようになったといわれています。
(丹後風土記の伝承)なお、与謝郡史には、西舞鶴・朝代神社にゆかりのある田辺城(舞鶴城)で隠居生活を送った古今伝授伝承者 細川幽斎の長男 忠興の棟礼、加佐郡舞鶴町紺屋天香山鎮座笶原神社のことも記されており、由緒ある神社だということがわかります。