引き揚げ船の桟橋を復元したものです。
当時の引揚者と同じ景色を見ていると思うと感慨深いものがあります。
平和祈願の鐘を鳴らすことができます。
戦後13年間にわたりソ連邦、中国大陸などからの引揚げを対応した場所となります。
こちらは復元された引揚桟橋です。
当時色々なドラマがあった事でしょう。
この歴史を忘れる事なく語り継いで欲しいです。
復元とはいえ当時を偲ぶ良い施設だと思います。
終戦直後660万人が日本に帰れない状況にあった。
舞鶴港は、終戦まもなく昭和20年10月引揚港に指定されて以来13年にわたり、主に旧ソ連邦、中国大陸等から六十六万人余りの引揚者と祖国の礎となって無言の帰国をされた一万六千余りの御霊を迎え入れた。
幾多の苦難に耐え、夢に見た祖国への感激の第一歩をしるした桟橋。
(資料より)
平桟橋(たいらさんばし)は京都府舞鶴市の東部。
京都府舞鶴市平の湾の南東にあります。
平桟橋とは、昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結後、中国東北部や朝鮮半島からの帰還者やソ連に抑留された引揚者が、夢にまでみた祖国の土を踏んだ地であり、引揚桟橋とも呼ばれます。
現在の平桟橋は復元で、記念碑なども立っております。
全国に知られるた「岸壁の母」は、ここで引揚船で帰ってくる息子の帰りを待つ母親をモデルに生まれた歌です。
付近の丘には舞鶴引揚記念館があり、シベリアの地で使用したコートなどの防寒着や文書類など、全国から約1万6千点の貴重な資料の寄贈を受け、常設展示にて1000点を超える展示をおこなっており、平成27年(2015年)に収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
引き揚げとは、昭和20年(1945年) 第二次世界大戦が終結し、日本人が中国東北部や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国に約660万人の残され、これらの方々を日本へ帰国させるため、開始されました。
全国に18港の引揚港が設置され、舞鶴は主に中国東北部・朝鮮半島・シベリアからの引揚者を迎え入れる港となり、昭和20年(1945年)に最初の引揚船が入港してから昭和33年(1958年)の最終引揚船の入港まで13年間にわたり約66万人もの引揚者を迎え入れました。
(2021/3/7撮影)
ここは復元桟橋です。
元はもう少し北側に二ヶ所あったと聞いています。
桟橋には大きな船🚢が着けないので沖で小舟に乗り換えて桟橋へ。
岸壁?(整備されていない土手)に大勢の家族が出迎え。
でもいつ帰って来るか連絡はないので待ちぼうけの家族もたくさんあったことでしょう。
今それを思うだけで涙涙😢。
復元された桟橋。
終戦記念日に訪れました。
終戦から月日が経ち当時を知る方が少なくなる中でこの橋のように歴史遺産を復元して保存される取り組みは大切であると感じます。
you tubeの『岸壁の母』を聴きき何故か…… ⁉️ 不思議桟橋から海の向こうを眺めると寂しさが伝わる母の思いが伝わる何十年も前に 待ち続けた 母の姿今ある幸せに感謝忘れてはいけない場所。
義父の要望で立ち寄りましたが、木製の小さな桟橋と、鐘があるだけで当時の面影をしのばせるようなものは、ありませんでした。
(土産物屋や飲食店らしきものもまわりに一切ありません。
)
24時間見学可能 無料 駐車場有り トイレ無し何も無い場所「岸壁の母」の歌で知られた引き揚げの町舞鶴その舞台となった舞鶴引揚援護局跡地を見下ろす丘陵地に公園が整備されたのは昭和44年のことでした引揚桟橋を見下ろす展望広場には戦没者への弔意と世界の恒久平和を訴える「平和の群像」や当地と深いかかわりのある「異国の丘」「岸壁の母」の歌詞を刻んだ歌碑などが静かにたたずんでいます。
平桟橋(たいらさんばし)は舞鶴港にある桟橋中国からの帰還者やソ連に不法抑留された引揚者が夢にまでみた祖国の土を踏んだ地である。
引揚桟橋とも言う#LetsGuide
戦争の悲しい歴史。
今はキレイな海と空が広がってました。
♪母は来ました。
今日も来た♪の岸壁の母は端野いせと云う実際に居た人物がモデルで出来た歌なのだとか。
第二次世界大戦の後、ソ連の抑留から解放された日本兵士が引揚船で帰航するのを待ち受けた港の一つが、舞鶴港だった。
場所は五条桟橋では無いかと云われている。
端野いせの息子は養子で実際には生きて居たらしいのだが、舞鶴港で迎える事は出来なかったらしいです。
母は来ました 今日も来た この岸壁に今日も来た、の場所。
実際は桟橋ですが、すごく重いものを感じました。
ひっそりとして寂しい感じ。
そばに数台車が止められるスペースあります。
『岸壁の母』で知られている、引き揚げ船の桟橋を復元したものです。
多くの人達が待ち焦がれいた所で、平和の鐘が設置されています。
なにもないところですが、海を見れば舞鶴クレインブリッジが見え、景観がとてもいいところです。
桟橋綺麗に復元出来てました。
駐車場も綺麗にしてもらいたい。
私個人の感想は何故か岸壁の母どうり寂しく思えました。
復元ではあるが、当時大陸から命からがら帰国を果たした人々の思いを感じる場所として貴重な場所。
残念なのはすぐ隣の工場が操業中で騒音がけたたましく、そのような感慨にひたるのをかなり妨げられること。
ワシの住む神奈川県横須賀市の浦賀も引揚港になっていたが、その場所は記念碑が建ち、当時使われたというが今は格好の釣り場になっている陸軍桟橋というのが残るのみだ。
ここは復元桟橋ということだが、忘れない意味での復元だろうが、と同時に悲しみの復元ではなかろうか。
複雑な思いになる。
駐車は無料です。
岸壁の母の歌が想い出されます。
中国、ソ連に不法抑留された引揚者が祖国の土を踏んだ場所。
行く途中 高校生くらいの団体さんが大人数で(おそらく強制的であろう)行軍していた。
何かと思ったら ここの見学に来(させられた)学生たちだった。
引率の教師は「いいかおめーら。
他の一般のお客さんもいるんだからな、騒いだりして迷惑かけんじゃねーぞ!」と怒鳴っていた。
(泣)
復元されたものになりますが、場所はここで間違いないので、凛とした気持ちになります。
残念だったのは、桟橋の一部に穴が開いていてコーンが2つ置かれていること。
ここからクレインブリッジも見えます。
名前 |
引揚桟橋(復元) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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引揚記念館へ早く到着したので割と早い時間に行きました。
地元の方が釣りしてました。
桟橋付近が浅瀬の為、沖に停船し小舟で桟橋まで人を運んだらしいですが、散々ソ連で移動の度に「帰国させてやる」と騙されいろんな所に連行されたので中々、上陸しなかった(出来なかった)らしいです。
哀しすぎる。