凄惨な戦があったとは思えないほど現在は静かで平和な雰...
スタンプは城跡の入り口・駐車場があるゲストハウスにあります。
1591年に九戸政実の乱の舞台となった、戦国最後の戦が発生した城です。
江戸初期に廃城となっています。
見どころ・遺構は、堀や土塁、郭などで、建物は残っていません。
郭や堀ははっきりと残っており、丁寧に整備もされています。
桜などもきれいなので、散歩にもおすすめ。
滞在は45分〜1時間といったところです。
ゲストハウスに簡単な発掘展示と歴史の説明あり。
車で5分ほどのところにある二戸市埋蔵文化財センターにも関連展示があります。
スタンプはガイダンス施設にて押印できます。
スタッフの方がいないと押印出来ません。
夕方は早めに終わってしまう様なのでご注意ください。
駐車場はガイダンス施設の横にあります。
城址までの行き方がわかりにくいので案内の地図をもらった方がスムーズです。
スタッフさんには丁寧に説明していただけました。
2022年9月現在、城跡周辺は工事中となっており、本丸跡も含め立ち入り出来ませんでした。
周りは凄くキレイに整備されている様ですので、工事が終わってキレイになったら再訪しようかと思っています。
天守や門はありませんが、とても広くて美しい敷地内には旧跡毎に案内板があり往時を偲ばせてくれます。
が、九戸城は個人的にとても好きな場所です。
戦国時代の武将である九戸政実が築城。
高橋克彦さんや安倍龍太郎さんが彼を主人公にした小説を書いています。
奥州では南部家の跡目争いや津軽の独立、伊達政宗の台頭、国内では本能寺の変や小田原評定等、話題に事欠かない時代の人物でいつか大河ドラマにならないかなぁと夢見ています。
全国的な知名度は低いですが、実質的な豊臣秀吉の天下統一は九戸政実の乱の制圧をもって成されたと思っておりますので、過小評価されている人物だと感じます。
政実亡き後は南部信直が福岡城と改めて本城にしますが、未だに九戸城と呼ばれてるのは当時から領民が九戸政実を慕っていたからとか。
九戸村には九戸政実の首塚もありますので一緒に巡られる事をオススメします。
深い空堀、本丸に残る石垣、虎口跡や土塁、曲輪も綺麗に手入れさ気持ち良く散策出来た。
ガイドハウスで貰った案内図見ながら南部氏と九戸氏の争い(秀吉の奥州再仕置)の遺構を見て回れた。
ゆっくりと散策したくなるような城跡でした。
建造物はありませんが、天正19年の石垣が残されています。
実際に訪れてみると自然の地形を利用した、堅牢なお城であったことが感じられます。
本丸跡はまだ整備中で入ることができませんでした。
ガイドハウスにある案内冊子は無料ですがとても充実していました。
九戸政実の漫画はわかりやすいです。
全体の整備が終わった際にまた訪れたいと思います。
広そうなので入れたのかな。
お城のスタンプ、御城印は二戸市埋蔵文化財センターでいただきました。
場所は、離れてます。
ぬゆ。
とは言っても東北の、当時としては都から遠く離れた場所の城跡なんてと思っていたらいい意味で裏切られました( ・∇・)もっとこじんまりしているのかなと思っていたら広くて虎口跡も堀の跡もしっかり残っていて搦め手の外は他の街道に繋がっていたり城とは如何にあるべきかをよく見える手本となるような場所でした。
地元に昔からいらっしゃる方はこの辺りを「福岡」と呼んでいるらしくこの辺りを「福」とみなしている感覚が古くからあったんだろうなと感じました。
こういう古くから残っている人工物および名称は地元の方々の敬愛を感じられて心動かされますね^_^
しかし政実は、天下人である豊臣秀吉への反逆とみなされて討伐されています。
その後九戸城は南部信直の居城となりましたが、信直が不来方(盛岡)に居城を移し、寛永13(1636)年に破却されています。
九戸家も津軽為信のように、南部家とは別に小田原攻めの秀吉元に駆け付けていたなら、南部家からの独立も可能であったでしょうが、政実にはそのような才覚はなかったようです。
城は公園として整備され、建物はありませんが本丸から二の丸、石沢館、若狭館などを、政実の無念を思いながら散策できまます。
アップダウンも少なくイージーな平山城。
初心者や老若男女問わず訪問しやすいお城だな。
遺構としては本丸跡、二ノ丸跡付近の石垣とお濠が最大の見所であろう。
整備もよく綺麗に見える。
全体的に変わった曲輪群ではあるが色々思索にふけりつつ周るのは楽しいね。
これといった強烈なインパクトのあるお城ではないし、一般ウケする城跡ではないであろうがこういった中世山城の楽しさは十分に味わえる城跡ではなかろうか、と私は思う。
ガイドハウスを含め近年整備に力を入れておられるような感じだ。
地元の方が城跡整備されているのを偶然見かけたが大変だろうなーと思う。
ご苦労様でございます。
まだ発掘中のエリアもあるので機会あれば再訪したい。
後に盛岡へと移るまで南部氏の居城となり福岡城と改められたが、九戸城と呼ぶのが普通である。
別名「宮野城」。
国の史跡に指定されている。
中世の平山城で、主に南部氏の一族である九戸氏が居城した。
正確な年は不明であるが、九戸氏が九戸城を築城し移ったのが、『系胤譜考』では7代目光政のとき、『奥南落穂集』では12代目信実の代という。
また、11代目(『奥南落穂集』の代数では14代目)政実が二戸を加増されて移ったとされる説もある。
「九戸政実の乱」以後、蒲生氏郷によって改修されて南部宗家の本城となった。
西側を馬淵川、北側を白鳥川、東側を猫渕川により、三方を河川に囲まれた天然の要害で、城内は空堀によって、本丸、二の丸、三の丸、若狭館(わかさだて)、外館(とだて、石沢館とも)松の丸などの曲輪群を形成し、本丸の一部には東北最古の石垣をもつ。
東北地方では有数の規模であったが江戸初期に廃城となった。
城跡は、1935年(昭和10年)6月7日、国の史跡に指定され、現在は保存整備されている。
ただし、三の丸跡は大部分が市街地となっており、史跡指定対象外となっている。
野面積みの石垣に囲まれた本丸跡にかつては堅固な城であったことを偲ばせていました。
虎口に立てばそこには確かに城門があったであろう枡型や城の周りには濠跡もみられました。
栄枯盛衰、兵どもが夢の跡の城跡です。
名前 |
九戸城跡 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
周辺のオススメ

二戸駅に城主のイメージキャラのコピーにあった、「天下に喧嘩を売った男」の城。
石垣はなく、城址っぽくない。
案内の看板が各所にあり、イメージはつかみやすい。
雪が結構積もって、あまりあちこち行けなかったので、どちらに城。
いや、どちらにしろ桜の季節に改めて来よう。