この橋を渡ると白金の商店街。
明治通りと平行して流れる古川に架かる四之橋、昭和53年3月竣工の幅広で橋脚も立派な橋ですが、上方を通る首都高が覆いかぶさっており、景観が損なわれています。
鋼の桁橋と見られる。
土屋相模守下屋敷前にあったことから相模殿橋と別名されたとも。
周辺地域は,広尾原と言い,かつては美しい武蔵野の原風景が広がっていたという。
実際に,江戸時代後期の観光案内本『絵本江戸土産』には,「江戸第一の原野にして,人々が良く知っている所である。
それゆえに四季の草木の花は,人の力を借りなくても,自然に咲き続け,月の夜もすがらには,「古い歌に表現された武蔵野の景色はこれか」と思うばかり。
物寂しい感じがマジでエモい※」などと表現されている。
しかし,現在は首都高速の箱橋の下にあり,暗く,じめっとしており,そういった色鮮やかな草原地帯は見る影もない。
※江都第一の郊原にして人のよく知る所なり。
さ連バ四時艸木の花更尓人力を假ら須といへとも自然咲つゞ起月の夜し可“ら古への歌尓見え多る武蔵野の気色ハこ連可とおもふ者”可里寂寥として餘情深し。
名前 |
四之橋 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.minato.tokyo.jp/shisetsu/bridge/bridge/38.html |
評価 |
3.8 |
江戸時代より前からあった橋となるとすごく感慨深い。
昔は木の橋だったのだろうなぁ。
橋のお掃除をされていたおじさまも居てほっこりする^ ^