日露戦争後、樺太の半分が日本の領土に一旦なりました...
樺太国境画定標石(模造) / / .
樺太国境画定標石(かくていひょうせき)時明治三十九年六月〜四十年十月所樺太日露境界明治三十七、八年の日露戦役の講和条約でカラフトの北緯五十度以南は、日本の領土となりました。
その境界を標示するため、日露両国委員は、明治四十年九月四基の天測標と十七基の小標石を建てて境界を確定しました。
この境界標石は、外苑創設に際し、明治時代の一つの記念物として、樺太庁が之を模造し外苑に寄贈したものです。
当時苑内北方隅の樹間に在りましたが、この度、全国樺太連盟よりの、これが顕彰周知方の篤い要望に応えて、絵画館前の現地に移し整備配置しました。
日本側の菊の紋章の背面には露国の鷲の紋章が刻んであります。
又、聖徳記念絵画館の壁画「樺太国境画定」(安田稔画)には、両国委員が境界標を建設する光景を史実に基づいて描いた絵画が展示されております。
昭和五十四年六月二日明治神宮外苑 聖徳記念絵画館。
日露戦争後、明治38年に締結された日露講和条約で、樺太の北緯50度以南は、日本の領土となりましたが、その境界を標するために4基の天測標と17標の小標石が建てられました。
この境界天測標石はレプリカで、外苑造営時に当時の樺太庁から奉納されたものです。
It is a pure luck for me to find this replica of the frontier / border stone laid between the border of Imperial Japan and the Soviet Russia. It is hard to find. The real border stone is in the museum of homeland in Hokkaido
駐車場の脇にひっそりと。
コレと全く同じ本物が現在、サハリン(樺太)のユジノサハリンスク(豊原市)のサハリン州郷土博物館(昭和12年竣工の旧樺太庁博物館)に展示されています。
名前 |
樺太国境画定標石(模造) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
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日露戦争後、樺太の半分が日本の領土に一旦なりました。
その境界を確定するための埋められ標石の模造を見ることができます。
実際には、境界を標するために4基の天測標と17標の小標石が建てられたそうです。
こんなご時世なので、じっくり見てみたくなって来てみました。
これが領土の境界線の変え方なんですね。。。