大きな説明板があり下のようにありました。
小名木川かさ上げ護岸の歴史 / / .
大きな説明板があり下のようにありました。
小名木川は、小名木四郎兵衛が徳川家康の命を受け、1590年頃に開削した運河です。
江戸時代には行徳の塩や近郊の農作物、東北からの米、醤油等を江戸の市中へ運んだ河川で、「塩の道」とも呼ばれていました。
この小名木川が流れる地域は、乱流する荒川(現隅田川)や利根川の河口部に堆積した三角洲を埋め立て、江戸の市街地として発達してきたことからもともと低地であり、過去幾度となく高潮や洪水の被害を受けてきました。
更に明治末期からの工業地帯としての発展に伴う地下水の過剰な汲みあげにより地盤沈下が進行し、荒川と隅田川に囲まれた江東三角地帯は、東京湾の満潮水位以下となってしまいゼロメートル地帯とも呼ばれております。
地盤沈下が続いた町を水害から守るため、小名木川を始めとする江東内部河川(江東三角地帯を流れる河川の総称)の護岸は、かさ上げを余儀なくされました。
しかし護岸は、応急対策としての度重なるかさ上げにより、まちと川が分断されるとともに構造的に脆弱化し、大地震が発生した際の護岸崩壊による水害の危険性が心配されてきました。
東京都はこの地震水害から地域を守るため、昭和四十六年より江東内部河川整備事業に着手し、北十間川樋門および扇橋閘門より東側を流れる江東内部河川については荒川など周辺河川から締め切り、平常時の水位を周辺地盤より低く保つ「水位低下対策」を平成五年三月に完了させました。
現在、小名木川では水位低下に伴い不要となった「かさ上げ護岸」の上部を切り取り、「塩の道」の再生として江戸情緒を醸し出す石積み風護岸の整備を進めております。
この小名木川の旧護岸は、「塩の道」の再生に当たり、これまで水害から地域を守ってきた「かさ上げ護岸」の歴史を後世に伝えるとともに、低地に暮らす都民の方に水防意識を継続していただくため、その一部を保存するものであります。
名前 |
小名木川かさ上げ護岸の歴史 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
小名木川護岸の嵩上げの歴史が書いてあります。
隅田川と荒川の間に挟まれているので、こういう防災については常に考えていないとダメですね。
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