ランニングしていたら発見。
「日本橋川水運の物揚場標石ここに出土す 往時をしのぶよすがとして後世に伝える 昭和五十八年三月 千代田区」「内神田一丁目 江戸時代、神田橋のたもとのこの界隈には、荷揚げ場がありました。
徳川家康は、江戸に入るとすぐに江戸城の築城と町づくりを始め、城を囲む御堀(現・日本橋川)はそのために建築資材などを運ぶ水路として活用されました。
古い地図を見ると、神田橋付近に「かしふねあり」と記され、ここが水運の拠点だったことがわかります。
神田橋は江戸城外郭門のひとつで、上野寛永寺や日光東照宮への御成道(将軍の参詣経路)となっていました。
このような要所であったため、ここには明治のころまで建造物は何もありませんでした。
明治初期の地図んは鋼板と電話があるだけです。
明治五年(1872)、いったん美土代町となりますが、空き地の状態は第二次世界大戦後まで続きました。
そして昭和四十一年(1966)、内神田一丁目に編入されました。
昭和五十八年(1983)、神田橋土木詰所の敷地となっていたこの場所に、内神田住宅が完成すると九十世帯が住むようになり、平成五年(1993(、地位世だくのもっとも新しい町会として、内神田住宅町会が誕生しました。
さらに平成十六年(2004年)、町会名は神田橋町会と変りました。
神田町会」・・・という事でした。
ランニングしていたら発見。
名前 |
物揚場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
史跡あとです。
散歩がてらに訪問してもいいと思います(^o^)