名前 |
石橋供養塔 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
当時,鴻沼川に架かっていた石橋を供養するための塔と思われる。
『与野の歴史散歩』(p30,p236)という本によれば、石橋を建てるのと同時に、この橋が永久に壊れないように、また、人々の交通安全を願うため、長伝寺(近隣の寺。
)の速誉上人が企画者となって建てたものだ、としている。
以下,観察情報を記す。
正面にはでかでかと「石橋供養塔」とある。
彫り方は薬研彫り。
その下部中央に「師導 長傳寺 ?誉上人」とある。
先達となった速誉上人のことだろう。
その左右に願主の名前が見られるか。
筆頭は「?田六左衛門」と読める。
裏面には、健之年月日として「享保十一丙午天 初夏卄有三日」と刻む。
その下に、「圓乗院」「長傳寺」「普門院」「東明院」と近隣の寺院の名前が見られる。
更に、その下に複数の人名あり。
与野町の代表の名前だろう。
筆頭は「井原次兵衛」。
また、この中に「井原平八」の名前が確認できる。
井原平八は,与野の名主の名前であり、代々井原平八を名乗る。
右側面下部に石工の名前がある。
「高内源太ら(郎)」「伊兵衛」「七兵衛」「七右門」とあるか。
なお,供養塔手前に四角い穴の空いた石が置いてある。
供養塔と同じ材質と見え、「もしかしたら、当時の石橋の一部なのかもしれないな」と思った。