名前 |
天保堤防刻銘石 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
天保六年(1835)一ノ沢川の大氾濫で、合流する沢川下流域の全耕地を押し流し、沢川が合流する天竜川の対岸・下流域までも水没させた。
人々は段丘上からこれを眺め「大満水」と言ったという。
高さ、幅、共に2mを超える巨石で、復旧工事のときに堤防の急所にこれを据えて瀬追石としみだりに動かすことを戒めて、南側の下部には「天保六乙未正月奇之」と刻まれている。
大正時代中頃まで薪として樹林等を伐採したため周囲の山はほぼ丸裸で雨が降れば出水したという、その鎮めか隣に小ぶりの水神碑(大正15年5月)がある。