名前 |
山崎本陣跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
2.0 |
標柱等の目印となるものは一切ないのだが、旧大宮市が昭和55年に発行した「大宮のむかしといま」には、山崎本陣は宮町の岩井折箱店の地とあり、現在はこの西側に岩井ビルが建つ。
その他、各種資料でも山崎本陣の場所についてはブレがなく、総じてこの位置を本陣跡としている。
山崎家は「文政期(1818〜1830年)以降、臼倉家に代わって本陣を務めた」と多くの資料に記されているが、文化3年(1806年)に完成した中山道分間延絵図には、1軒しかないはずの本陣が2軒描かれている。
その後の、1850年頃に作成された中山道宿村大概帳には、大宮宿の本陣は1軒と記されている。
多くの資料が「大宮宿の本陣1軒」としているのは、この中山道宿村大概帳の記載が元である。
このことから考えられるのは、大宮宿には1800年頃には2軒の本陣があり、文政期(1818〜1830年)に臼倉家が本陣職を辞退すると、山崎本陣だけが残ったというもの。
問題なのは、大宮宿の本陣が2軒存在したのは、1800年頃の一時期だけなのか、それともかなり以前から2軒の本陣が並存していたのか、ということ。
個人的には、2軒の本陣が並存していたのは一時期で、それは広大な敷地と特別な間取りを必要とする屋敷の建設には相応な時間が必要と思われ、さらに利用のあった大名等の公人への通達などの引き継ぎ期間を考えると、一時期の本陣並存というのは、かなり確度の高い説ではないだろうか。
ちなみに、明治44年(1911年)に立てられた大宮町道路元標は、この本陣前にあった。